0. 序 / 各章要約

  

今西錦司さんは生き物の世界を、空間的には生物全体社会という、世界に広がっている生物すべてを一つの全体社会としてとらえました。そして、生物全体社会を成り立たせる要素(単位)として、種社会を発見したのです。種社会は、下位(内部)構造としては種を構成している個体すべてを含み、上位構造としては生物全体社会の一構成要素としてなりたっています。種社会同士は、元一つのものから生成した関係を存続し、相対立しながらも相互依存的に共存しています。種個体は、それぞれ属する種を体現する特殊として、種が主体性を発揮した社会形態に限定され生き、しかしまたそれぞれの個体が種を限定し、種をのせて生活しています。
 ちょうど、生物個体と細胞との関係が、種社会と種との関係に相当するとたとえられます。個体は、その個体の細胞全てから構成されておりますが、細胞を集めると個体が出来るわけではありません。下位構造の総和では、上位構造は説明不可能なのです。

 



もともと一つの生命社会が発達した世界。肉食動物と草食動物、あるいは草食動物と植物は、かならずしも競争しているわけではなく、役割分担をしつつ調和しているものと考える。

時間的には、生物全体社会の起原になる一つの地球的生命が、自己組織的に分化し、発展してゆく姿を進化ととらえました。生命と環境(生物の身体も含む)の、弁証法的発展が、一つの種を分化させ、互いが棲みわけ、ときに食う食われるの関係を結び、しかしそれぞれの持ち場を維持しつつ、種は共存してきたと考えます。生命が主体性をもち種を形作り、が主体性をもって自己展開した歴史が、生物進化です。生命が、生物全体社会の永遠を志向しながら種を増やし、形態を変化させつつ、移り変わってゆく様が進化なのです。

 今西進化論は、ラマルク、ダーウィンらに代表される個体重視の視点に立脚した進化ではありません。肉食動物VS草食動物、あるいは植物同士の光資源獲得の様を、競争とのみ扱うことは、個体主義を生物におしつけた人為的な見方であり、客観的とはいえません。現時点の自然の中、生物の生活を司っているものへ目差しをおくり観えたもの、それが種であり、種社会であって、この種が、地球環境内に調和的に棲み分けを重ねていった姿が、進化ということです。


 物理科学と生物学には学問間の落差があります。今西錦司は、日本の生物学者として、方法論的にその差を縮めた大きな功績があると思います。2002年は、今西錦司生誕100年になる。その年を迎える前に、今西のほんとうの科学的業績を検討したい。

 1999.7

・各章要約

1章 科学によせて

 近代科学の発祥をなぞり、方法論をながめ、自然科学がどのようにメジャーな思想になったかを点描する。科学者廃業宣言をせざるを得なかった今西錦司の業績を眺めたとき、それは正当な科学の道筋にはずれていたのではなく中途段階にあっただけである。自然哲学を持たずして、科学の進歩はなく、経験可能な世界以外の、上位世界との対話によって科学が創られてきたことを確認する。

2章 種社会

 今西錦司の生物学に貢献した業績を、一言で表すとすれば種-種社会の発見である。すみわけを帰納してゆくと、そこに種社会がみえ、この種社会から、全てのすみわけと進化が説明される。

3章 種と個体

 今西錦司によれば、主体性をもっている対象は「種」である。その下位構造として生物個体が帰属している。種社会を構成している各個体と種が二にして一のものと定義した。種に視点を置くと、種を構成する個体同士は、同じ性質を有している。ここに、個体差から進化を考えなくてはならないダーウィニズムとは相容れない世界観が出てくる。

4章 生物全体社会と創世の神話

 今西錦司の生物学における第二の業績としては、諸々の生物全てを包む生物全体社会の定義をおこなったことである。種社会に帰属して個体があるように、あるいは個体に帰属して、器官や細胞があるように、生物全体社会という大きな生命に帰属して、各種社会があり、この全体社会の鉄鎖(あるいは大いなる慈悲)のもと、種社会は主体性を持っている。

5章 プロトアイデンティティ

 4章の補足。ユングなど精神世界での生命の結びつきを想定してある。

6章 ダーウィニズム

 偶然と自然選択。太陽のまわりを地球が、46億回転するあいだに土や海から今見る人間社会や生態系が、忽然とこの二つの用具でできるのだろうか。選択とは、縦・横・高さ+時間という4次元では説明がつかない。上位次元(例えば精神性)を考えると、選択以外にも、生物の主体性や欲求、自己組織化(今西、ラマルク、プリコジンら)などの仮説も受け入れられていい。そして、「偶然」。このキーワードは、全てを説明できるが、なにも説明していない。

 6.5章 ラマルク

 ラマルクの自然哲学。

7章 今西進化論

 種の主体性の発揮としての進化論。変わるべき時に変わる、これを科学の言葉で表したときに、次の時代の生物学が見えてくる。

8章 自然学

 アリストテレスからドイツ観念論へとつながる自然哲学を、日本的に翻訳するとこのような今西自然学となるのだろうか。ギリシャ人、ゲルマン民族、日本民族と、自然を愛し共に生きてきた文化は、砂漠文明とは自然への関心・応対が異なる。もう一度自然哲学は復興する予感を、晩年の今西錦司は感じていたのだろう。

9章 「生物の世界」の思想

 名著「生物の世界」。各章毎の感想や紹介をしているが、未完成。

10章 今西学の未来

  枕の ひとりごとです。