4. 生物全体社会と創生の神話

 生物全体社会

 

        ------「いろいろな種の社会がある地域に重なり合って、しかもそれが経済的な結びつきをとおして一つのセットとしての構造をもつ ようになっている。そういう生物の種の社会の重なりをわれわれは全体社会と呼んでおります。」今西錦司「私の進化論」より------

 

 生物全体社会とは、言い換えてみれば地球生命の総体であるといえ、今でいうならば、最近ちょっと後退気味ですが、ガイア仮説から地理的要素を除いたもののように考えると近いと思います。

 種社会や同位社会が部分社会であるとして、それらを全部ひっくるめた生物のかたちづくる自然を、社会と見なすところに生物全体社会の概念が発生します。そして、生物全体社会が自己同一性をもったまま分化して部分社会を形成したものが、同位社会や種社会であり、それが進化の順序と考えられるのです(ベルタランフィは個体より上位の構造として、「最高の生命統一体を形成するのはいうまでもなく地球上の全生命である」と述べています)。

 この全体社会への帰属性こそ、ロマン的に翻訳すると、「もと一つなる生命からわかれいでた種社会同胞同士、闘争ではなく食物連鎖によるエネルギー秩序の調和をもって、全体社会の永遠を志向しよう」といった表現となるでしょう。個人主義の小さなまなこから覗くと、食う食われるの関係は弱肉強食の闘争の世界に見えますが、種社会、全体社会の立場で見たときに、はじめて食う食われるの関係が、より多くの生命を養うための安定と多様性の慈悲深い自然となって映るのです。全体社会はどこにあるか。これもまた見ることも触ることもできない、地球生命35億年の歴史の中に、はたまた未来に描かれる生命史の中に実在するということができます。プラトンはじめギリシャ人がイデアを実在と考えたように、今西も生物全体社会に永遠不変の実在をみたのです。生物の共存原理は、この全体社会をもって導かれたといえるでしょう。

 この生物全体社会が今西錦司の思想のもっとも広大な射程距離であり、終着点でもあったであろうと思われます。今西進化論も種社会論も、この全体社会が論理の要となっているのです。もともと一つのもの、という生物全体社会の歴史が今西の生物観を支えているのです。このような、慈母心満ちた生命を知っていたために、対談などで、地球環境の不安や人類の未来などの予測を訪ねられても、楽観的な態度をとることができたのでしょう。


創生の神話

 

 「創生の神話」という言葉は、季刊人類学(1983)への論考に初めて出されました。しかし、この考え自体は、『生物の世界』にすでに登場しているものであり、さらには、ダーウィンの『種の起原』の最後をしめる感慨の言葉からも受け継がれているものです。「生命はそのあまたの力とともに、最初わずかのものあるいはただ一個のものに、吹き込まれたとするこの見かた、そして、この惑星が確固たる重力法則に従って回転するあいだに、かくも単純な発端からきわめて美しくきわめて驚嘆すべき無限の形態が生じ、今も生じつつあるというこの見かたのなかには、壮大なものがある。」--ダーウィン

 ダーウィンの時代、地球、ましてや宇宙の年代は、科学的に定まってはいなかったのです。太陽の熱源すら未知の時代であったのだから無理もないかもしれません。しかし、神学で考えられていたように天地が創られたのは数千年前の出来事ではなかったことが、地質学の発展によって徐々に明らかになってきました。地球の年齢は、当時の人にしてみれば衝撃的に長かったのです。

 地球が最初火の玉であったこと、あるいは原初の生物は今より種が少なかったこと、生物は生物から生まれること、博物学の発展により現存の種が多様であることを材料にすれば、生物がどのような作用によってかは別にして、種が分化して来たことは直感的に受け入れられる考えです。後は理論の創設が必要です。ダーウィンは自然選択説という理論の構築をおこないました。

 さて、今西さんは、最初に社会と個体が同時に発生したと述べています。最初地球に誕生した生物種が、一種であったか、数種同時であったかはわかりません。とりあえず一種と仮定すると、同時にその種に分類されるべき個体は、多数同時に発生したと考えるのです。夜が明けた所で生命が発生しているときに、日が沈んだ波打ち際でも、極地や赤道直下でも発生していてもよいのです。このアイデアは、化学反応の多が多に変化する現象からをみても支持されるのではないでしょうか(海水にまんべんなく満ち満ちていた高分子がなんらかの影響をうけて同時に多数の生物個体に変化したことをさす)。ただし現在確証できることではないためこの話は仮説ではなく、創生の神話と名付けられました。

 多数の高分子が、変わるべくして多数の生物個体になったというのです。これをみても、今西が種の創生をどのようなイメージで捉えられていたかがわかると思います。最初に出現したこの生物が、地球生物のアルファです。さてこの時、生物全体社会と種社会と種個体は、一つのものです。そして、この生物全体社会が、自己同一性を保ったまま分化してきたものが部分社会である種社会なのです。


最初の生物

 空想を交えて、わかりやすく話を展開してみましょう。

 地球最初の種を、アメーバ状の生物であるとします。しばらくは、この種は一種にて、それまで地球に備蓄されたエネルギーを取り込み、繁殖したことでしょう。しかし、地球環境は単一ではありません。何しろ重力があるおかげですでに天と地という二方向が分離しているのであり、また太陽と地球の関係で、極や赤道などの環境の他、岩石の組成、様々な要因によって地球環境も多様な様相を示しています。他に利用可能なエネルギーの経路形成があると、繁殖という目的のために、この原種の生物体をメタモルフォーゼして新たな種の創生ということが可能になるではないか。新しい種は別に最初の種と競争する必要はありません。新たな栄養段階獲得(ニッチ獲得)の新天地をめざす種が同時に発生するということです。これが棲みわけの起源となります。

 また原種自身の生活によって、排出物等環境に変化をおこすこともあるでしょう。そこで、せっかく創生された生物を損なうことなく、これと共存し、かつ新たなエネルギー循環の一役をになう、新たな生物が生物全体社会にとって望まれることとなる。それがたとえお互いの種個体同士が、食う食われる関係になったとしても、種社会、さらに生物全体社会の主体性、自己同一性、および永遠性にとっては望まれることであるのです。この食物連鎖によって、種の安定性や、棲みわけの多様性というものは進んでました。イモムシがハチに襲われることに、自然の残酷性しかみることができないのは残念であって、その奥に、生物全体社会の共存をはかっている法則があるのです。

 今西は、自然界に生物全体社会の自己同一性がはたらいているとみました。生命の愛と言い換えても良いかもしれません。


全体論?

 

 「今西の進化論が共存を根底にしていることが、日本人にコミットしやすい」という言説が共鳴派、嫌悪派ともども口にしてきたことです。この共存の思想の中には、生物全体社会という壮大な地球生命への、ロマン(愛)が感じられます。結局、自然観の違いです。生物全体社会、地球生命に、自己同一性があるか否か。否とみて、還元論的に生物を分析と統合の手法でもって、生化学、分子生物学の立場よりみることは、有用であり今西自然観はそれを否定するものではありません。人間を個体とみることから出発して、自然をみたのであれば、生物個体以上のものは見えないというそれだけのことです。還元論への反動で全体論を借りることもありますが、今西論の本質は全体論で収まるものではありません。今西自然観の中で、個体は種の棲みわけの中では自由で平等であるようだ。先の空想にも、目的とか、「望まれる」とか現在生物学で忌避される言葉を平気で使いましたが、これらの言葉が、物理学帝国主義時代に征服された指導原理より、生物の世界をより客観的に捉えるための上位レベルの物差しであればいいと思います。

 

 人間はどうであろうか。人間の個と全体という問題は、生物から類推するものではないでしょう。逆に、人間の個と全体、私たちと仏神いう関係を明らかにしたところから、はじめて本当の生物の世界を眺めることができると思います。

 1999.7