6. ラマルク


---多くの事実は、種のあるものの個体が、位置、気候、生存様式あるいは習性を変えるにつれて、それらの個体はその影響を受けて、諸部分の大きさ及び割合、形態、能力ないしはその体制までもだんだんと変わり、かくて、それらの個体に具わる一切は時と共にこの受けた変異を分かち持つことを教えている----ラマルク「動物哲学」

 

ラマルク---生物学の祖

 ジャン・バチスト・ピエール・アントワーヌ・ド・モネ・ド・ラマルク(1744-1829)は、初めて進化論の本格的な体系を著した人として知られ、また、生物学という言葉を創出した人の一人でもあります。脊椎の有無を分類の大きな系として扱ったことは、「用不用説」・「獲得形質の遺伝」という用語の創出以上に、生物学へ多いなる影響を与えました。生命の探究者としての位置づけとして、正当な評価は今後もまだなされてゆくでしょう。今西進化論へいく前に、哲学者ラマルクに寄り道してみたいと思います。

 環境ではなく生物の側に、主体性を認めていた点に、部分的ですが今西錦司も高くラマルクを評価しています。両者は、生物が環境に適応(この言葉自体は用いていない)しようとして、みずからの身体をつくりかえた生物の主導性を認めている点が共通するのです。

 退化の説明において、自然選択説が「偶然未発達の器官を持った個体が、正常個体よりも器官生成にかかるコストが低くすむため、より生殖にエネルギーをまわせる・・・」云々と、言い訳を聞いているように聞こえるのですが、用不用説は、「使われない器官は消滅に至る」という簡単な説明を与えていて、今西錦司はスマートなラマルク説に軍配をあげているのです(ここでは「退化」といっても、例えば洞窟に閉じ込められた眼を持つ生物が、眼を消失させたのであれば、その環境に適応し「進化」したといっていいでしょう。それを「偶然」と「眼を形成しなかった分、有利になった個体が選択された結果」にするか、生物の内的要求の顕現とみるかの違いです)。

 また、獲得形質の遺伝は、今西の著書「主体性の進化論」のなかでくり返し高く評価されています。「進化という現象の核心を突いたキャッチフレーズ」「およそ獲得形質の遺伝のないところに、進化はありえない」「獲得形質の遺伝こそ、生物進化の大前提」「この進化の公理を発見したラマルクの功績を、不朽のものとして・・」このような賛辞は、義務教育で生物を学んだ方にとっては、奇異に感じられるかもしれません。そんなことは、とっくに否定されているのではないかと。しかし、ラマルクにとっては「獲得形質の遺伝」を「形質」や「遺伝」など、後に付けられた言葉や意味では用いておらず、それを押しつけられてさらに否定されたのでは遺憾であるでしょう。

 ラマルクが使った用語は「獲得物の(保存)転移」ということです。遺伝様式は知られておらず、「体細胞」「生殖(胚)細胞」のあいだの分離もない時代に獲得物の保存ということを言いだしたなれば、これは「生物は世代を重ねるごとに変化してゆく」ということをさしているのです。たとえ、突然変異によって変化することとしても、やはり遺伝子上の獲得物が生殖によって転移してゆくことであって、この意味で、獲得物の保存とは、結果論ではあるが進化の原理として不可欠な要素である。今西のラマルクの評価は、けしてダーウィンの価値を相対的に下げるためではなく、正当にあつかったものといえるでしょう。

 

 では、これを結果論にしてしまっては、自然選択説と同く科学的説明になっておりません。そこでラマルクは、獲得物の保存の「獲得」を、用不用説にもとめ理論化しています。「動物哲学:第一部 第七章」、自然の法則 第一法則として、

「発達の限界を越えていないすべての動物において、ある器官のいっそうひんぱんで持続的な使用は、この器官をすこしずつ強化し、発達させ、大きくし、そして、これに使用の期間に比例した威力を付与する。他方、しかじかの器官を常に使用しないと、この器官は知らぬうちに弱まり、役に立たなくなり、しだいに能力を減じて、ついに消滅するにいたる。」

と定義しました。生物がよく用いる部位が発達し、使用頻度の少ない部位が退化する、という説明は機械論的に見ると神秘にしか思えないかもしれません。しかし、生物による主体性、精神性を認めるとごく自然な考え方になります。生物の精神性を無反省に否定する心情は、ユダヤーキリスト教文明
による影響といってもいいかもしれません。鳥は飛びたくて翼を持ち、翼を持つから飛ぶ。水鳥は湖面に生活圏を選んだため、水掻きをもち、水掻きを持つから湖面を泳ぐ。ラマルクは動物には意志を認めていましたが、それが動物を観察する自然な人間の姿だと思います。生物の側の欲求が、形態変化を導く原因となる可能性を研究する必要があります。生物の要求を無視し、ネズミの尻尾を何代にもわたって「人間の意志」によって切断してもネズミの子孫は尻尾が短くならなかったという実験でもってラマルク説を排除しようとしたヴァイスマンは、その生物側の意志という重要な点を見落としてしまっているのです。
 また、この「生物は変化しないではないか」ということは、数千年前に埋葬されたエジプトの鳥(アフリカクロトキ)のミイラが、細部にわたるまで現存の鳥と変わっていないとして、同時代のキュビエからも批判されています。これに対してラマルクは、エジプトの位置や気候は変わっていないし、鳥は多少環境が悪くなっても飛べるのだから、変わらなくて当たり前だ、と恐らく正しい反論をしています。

 さて、ラマルクが思弁的であるのは、体液の運動による新しい器官の形成を、興奮性と被刺激性という二つの原理で導いている所にあるでしょう。この「興奮性-被刺激性」というモデルは、ドイツ観念論哲学に登場しているのです。ラマルクとドイツ観念論(例えばシェリングやゲーテ)とどのような関係にあるか、全くの没交渉ではなかったのではないかと思いますが、同じ時代の息吹を吸っていたのは確かと思えます。

 ラマルク説が科学的に検証されるか否かは問う時期にはまだないのかもしれません。セントラル・ドグマはドクサであって変更が要請されるという報告をとって、ネオ・ラマルキズムは何度も復活を試みようとしていますが、ただ体細胞と生殖細胞にキャップがあろうとなかろうと、ラマルクの使用した意味において「獲得物の保存」は生き残るでしょう。

 ラマルクの哲学の真意はどこにあったのでしょうか。池田清彦氏は『構造主義と進化論』のなかで、進化時間斉一説とよぶ、進化仮説とその補助仮説としての用不用説・獲得形質の遺伝という位置づけをおこなっています。確かにラマルクは、後にパストゥールによって否定された自然発生をまだ受け入れており、池田氏によるこの組立はわかりやすいものです。従来、体制の複雑なものから単純なものへの「分類」の順序を、逆に並べ自然の歴史として眺めてみればそこに生物の時間的変異として考えることは、創造説から脱却すれば可能である考えです。しかし、この物質から生命という道筋こそ、ルイ・パストゥール(1822-1895)が否定したものでしたし、カンブリア爆発などみても生物のボディ・プランは最初から出来ていることを考えると、単純な生物の連鎖は修正が必要と思われます。この物質から生命、動物から人間という連続性は、ダーウィンにも引き継がれてしまうことになります。

ラマルクの自然観   
  ---(自然の序次(プランクトンから哺乳類までの)は)万物の至高創造者から自然がもらった手段の結果である。自然はそれ自身この至高創造者が万物中に創造した全般的序次にほかならず、かつこの序次を支配している全般的ならびに特殊的な法則の全体にほかならない。・・・自然は従来その成生物(ママ)を生ぜしめ、また絶えず生ぜしめつつあるのである。自然は絶えずこれらの生成物を変化させ更新し、かくしていたるところでその結果である全序次を維持している---ラマルク「動物哲学」

 今西氏は自分の進化論を述べる前に、現前にある自然の空間論的な見方を説明しました。自然の構造や秩序を類推した後に、その構造形成の歴史を進化として考えました。さて、ラマルクは自然に何を見ていたのでしょうか。

 ラマルクの著作には「自然」に、特別の観念を付してしたことが窺えます。『動物哲学』においても、「自然」は主語となり、「自然が生命ある産物を生みだし・・」「自然が、欲求という唯一の方途によって、・・」などの使い方が散見されます。『無脊椎動物誌』では、自然は神の目的を実現する、宇宙の法則、力のように扱われています。

 そして、ラマルクにおける存在の階層構造として、最高位に「至高の創造者」「自然の創造者」があげられます。これをもって近代の人とも、あるいは宗教的迫害からのカモフラージュに受けとることもできるのですが、ラマルクの著作の全般にわたって、神はいるのです。おそらくラマルクの神はニュートンの神と思われ、意志を有する神が第一原因となっています。
 第二段階には、知性でもないが物質でもない力が想定され、「自然」が相当する。自然は物質の外にあるが、物質を観察することで認識されます。シェリングのいう能産的自然に相当するようです。
 そして第三段階に、「宇宙」とよばれる非活動的な物質、物体があります。

 生命は自然に依存した、目に見えない力とされています。自然は絶大な力を持って、宇宙(物質界)に影響を与えます。神の力は、自然を介して作用し、宇宙に及び、また逆に帰納的に、宇宙の中に自然の力、さらに神の意志を見ることができます。地球の生物に、「自然」の産物を見る哲学。

 そして、「自然」は生命発生を自然発生というかたちで、最も単純な生物に限り形成してからは、全ての生物にあまねく変化と多様化の法則としてはたらき、至高の創造者の意志を伝えます。その自然の法則が、欲求というかたちで動物に現れ、用不用説・獲得物の保存という法則、すなわち進化を完遂させる。ニュートンの神も、常に宇宙に働きかける能動者としての神でありました。
 

 

 こう構築してみると、今西の自然観とラマルクのとらえた自然は遠くありません。今西はさらに、ラマルクの「自然」の中に「種」という構造を発見し、ラマルクの進化論を押し進めた観があります。今西は、ラマルクが進化の単位を個体と見た所は、相いれないという。私には、ラマルクが進化の単位を個体においたのか、自然の中の構造(種)においたのかよく読みとれないないのですが(個体の微細なる変化を進化としていたと思うが)、種を進化の単位として明確化したことは今西に冠する業績であると思います。ラマルクは変化を連続的に並べましたが、ラマルクを正当化したベルクソンのいうように、生物の要求が持続するところに導かれる生の飛躍的創造をくみいれると、進化が断続的である現象と整合させることができるでしょう。

 「万物の至高の創造者の意志によらなければ、一切のものは存在しない。しかし、私たちは、彼が意志を実行するにあたっての諸規則を決定し、彼の従った方式を定めることができるのではないか。」ラマルクは、神のつくられた自然、生き物への理解を、みずからの動物哲学によって求めようとしました。自然科学者の範とする態度と思います。

 1999.7

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