キュビエ

 ジョルジュ・キュビエ(1769〜1832年)は天変地異説をうちたてた、フランスの博物学者・解剖学者です。動物体内の器官、構造やその相互関係の理解や知識において、天才を発揮しています。優れた解剖学の研究の結果、動物の体制に、脊椎動物、関節動物(節足動物)、軟体動物、放射動物(ウニ、ヒトデ)の四体制群があることを表明しました。

 どんなに体制の単純な脊椎動物でも、関節動物や軟体動物との連続性を認めることはできない。動物の中に、見えない秩序を求めた結果、四種の器官・機能系を見いだしています。このもとめていた基本形は、時間的には不変的なものであるはずであったため、しぜん進化論を生み出す余地を持っていなかったといえるでしょう。当初キュビエは種は変化しないと信じたようです。少なくとも、ボネのような、無生物から人間・天使まで続く「自然の階段」のような連続した直線の法則は受け入れませんでした。この考えは、克明な化石研究によって、強固になります。種は、不連続ではないか。これがキュビエが、現存の生物と化石の研究によって、認めえた事実であったのです。

 キュビエと同時代のフランスに、ラマルクがいます。このラマルクの進化論に対して、キュビエは猛烈に反発し、種の不変性を擁護しました。ラマルクが講義している最中に、生徒の前でその説を面罵するようなこともあったらしいのです。そのいじめは死後まで続き、追悼文の中で、ラマルクの用語を改竄して、誤解をひろめたことも知られています。キュビエが、そうまでして擁護したかったのは神の創造性であったのでしょう。

 しかし、化石研究からは、過去に現生していない種が生きていたことが明らかになってきます。そこで、キュビエが持ち出したのが、天変地異説です。特にはノアの箱船にあるような大洪水が、過去に生きた種を滅ぼしたという説を提唱しましたところで、ラマルクもラマルクで『動物哲学』の中に、「(全世界的変災)は、面倒を省くには便利であるが、それを案出した想像力以外に根底を持たず、また何の証拠にも立脚出来ないのは気の毒である」とか「全世界的変災が起こって一切を覆し、自然の労作の大部分まで破壊したと想定する必要は少しもない」など書いているので、キュビエも何も思わないはずはないだろう・・・ラマルクも軍人出身であり戦闘気質はあったようです彼はマンモスの研究にも携わったが、確かに胃に消化されていない内容物が入った親子のマンモスのミイラなどの話をみると、環境に急激な変化が起こったことを支持しているように思います。今となってみると、恐竜絶滅の隕石説など、デヴォン紀、ペルム紀(海洋生物の96%が滅びた)などに襲った大絶滅を説明するには、何らかの地球的な大きな環境変化が起きたと考えるほうが自然であり、天変地異説は正しい説といっていいでしょう。さらに、化石において、突然種が完全な状態であらわれ、突如消えている現象は、いまだ覆されておらず、むしろ化石から結論できる事実となっています。生物の「絶滅」ということをいいだしたことは、キュビエの大きな功績であることは変わりないし、人々へ与えたインパクトは、現代の私たちの想像以上の出来事であったのではないかと思います。

 キュビエを否定し、漸進説をすすめたのはライエルですが、その影響を受けたダーウィンの飛躍しない自然観は再び改められつつあります。断続した種の歴史を説明できる進化論を模索するとき、天変地異説は現象の記述としては捨てることのできない材料です。今西錦司も、何度かキュビエへの親和度を示しています。
 神に対する概念の違いによってソリの合わなかった、キュビエとラマルクであったが、どちらか一方が、完全に間違えていたわけではなく、生物の不可視の統一性(キュビエ)とその統一性の変化(要求の持続)(ラマルク)を融合することで、今西進化論へ到達することが可能となるように思います。いずれにせよ、自然選択説を支持するために中間種を捏造してまで求めることなく、種が断続していることを素直に認めたところから、これを説明する理論を模索する必要があるようです。

2000.1

(今西錦司の世界)

本文へ