コラム:パストゥール(ルイ・パスツール) (1822-1895;フランス) 

 パストゥールは、数々の生物学的発見を行い、生物学、細菌学に偉大な足跡を残しました。その輝かしい業績、特に生物自然発生説の否定は科学史に明らかですが、その真意はどこまで知られているでしょうか。パストゥールの自然発生説の否定は、それ以前の「小麦と汚れた布からネズミが発生する」といったような俗説を粉砕するためと受け取られています。その仕事は、空気中の浮遊胞子が腐敗の原因であることを確証し、結果いままでおこなわれてきた自然発生を支持する一連の実験方法は、完全ではないことを示しました。

 しかし、以下の未刊行のノートに記せられたメモから窺える、パストゥールの生命への考え方は、良く知られているものとは異なっているのです。

 「生命は物質を支配する諸力の生み出すものではない。」

 パストゥールが本当に否定したかったことは、「物質が生命を生んだ」という考え方です。もちろん胚が成長する生命の活動現象は物理的・化学的原因であるという近代的合理性は持っていました。しかし、今の生物学者のほとんどが信じている、そしてオパーリンらが考えていた、かつて物質から偶然生命が発生した時期が地球の歴史上にあったという学説をパストゥールが聞いたら「それこそ私が否定したかったものなのだ」と改心を迫ると思われます。自然発生説の否定、すなわち生物は生物から生まれるということは、生物学のテーゼとなっている。しかし、かつて地球も完全に煮沸殺菌された時代があったということと、今生物が繁殖している事実はどのように考えれば良いのでしょうか。

 また同じノートには、生命から物質へと移行したとも限らないとも述べているところがあるのです。超自然的なるものは人間の心の中にあると考えていたパストゥールは、生命がまずあって、それから物質が創られたという思想を持っていたと思われます。

 というのも敬虔なファラデーをひいて、信仰と科学が別のものでないことを代弁しており、パストゥール自身も無限者(=根本神)という探究の奥なるものをもっていました。「この概念が人間の悟性を捉えた時には、拝跪する他に為すすべはありません。この胸を貫く不安の瞬間に於いてもなお、自らの理性に助けを求めなければなりません」

 以下は補足になりますが、パストゥールは神とは、無限者の観念の一つの現れとしてとらえていました。無限者が様々な時代、地域にあらわれて各宗教となり、あるいは、それが世界を知ることへの情熱として臨んだ場合、「科学」という真理になることを実感していたのでしょう。これは万教帰一的な考えに近いと思います。無限者の光、内なる神への信仰を持っていたパストゥールは、生命とは何かを知っているなどと傲慢な考えは持たなかったでしょう。彼の世界観がもっと研究されたとき、自然発生の否定の真の意図も明るみに出ることでしょう。

 パストゥールの光学活性の研究から、生物の作り出すアミノ酸分子が非対称であることが示されました。このような非対称の分子が、偶然にできる確率はあり得ない。ダーウィンと同時期にパストゥールは、生命の偶然性を拒否する礎を築いていたのです。

1999/12
2004/3加記

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