書籍紹介 その他

 ここに紹介する進化論の書籍は、今西進化論の側面をなぞるにも、本ホームページ作成にあたっても、参考になったものです。もちろん、内容がある目的に沿って非常に偏りを見せているのは、ご了承ください。

『宗教と科学の接点』  河合隼雄  岩波書店

 あとがきの中で、「現代において人間が真剣に生きようとすれば、宗教と科学の接点にどうしてもぶつからざるを得ないであろう。」とあるが、まさにそのように生きてこられた方の著作です。

 今西氏が、ユングの無意識界に自説の足場を尋ねたように、本書では河合氏が、「自然について」の章「東西の進化論」の節で、今西の自然観を好意的に紹介しています。

 今西さんという強烈な個性は、理系の研究者より、文化系の学者に評価が高いのです。しかし、今西進化論は東西文化の比較研究の対象ではなく、純然たる科学の領域にあることを知っていただきたいと思います。

 本書を読むとつくづく、宗教と科学の接点をもっと公に論じるためには、アカデミックに固執する方がいいのか、ニューサイエンスなどの玉石混淆の世界に良い種を播くほうが良いのか考えてしまいます。権威を求めて狭くなるか、その逆か、あるいは他の道をさがすか。

 

『ホロン革命』 アーサー・ケストラー 田中三彦/吉岡佳子訳  工作舎

 ホロンと今西論の社会構造についての考察は、森 誠一氏により論述されています(「生物科学」(1986)38巻-(1987)年39巻)。

 

『選択なしの進化』 リマ・デ・ファリア 池田清彦監訳  工作舎

 副題は「形態と機能をめぐる自律進化」。自然選択説と遺伝子絶対主義に対する反駁をおこなっています。ちりばめられた痛烈なレトリックが、面白い。自律進化と今西錦司の「生物は変わるべくして変わる」とは、自然選択を考慮しない点で、ねらうところは同じと思います。しかし、その諸原則として、50項目にもわたる原則を並べてある点で、残念ながらダーウィニズムの簡略性に及ばないようです。

 

『キリンの首』   フランシス・ヒッチング 樋口広芳/渡辺政隆訳

 ダーウィニストにとって、その支持者の信仰を揺さぶった焚書坑儒に値する本です。彼らは憎悪と驚愕でもってこの本に罵声を浴びせました。ダーウィンの理論から導かれる結論は、生物は漸進的に変化することであり、ダーウィン自体、ライエルに影響をうけ漸進説を自論としていました。しかし化石の事実は、これを否定し、突然に完成された形態を持ったものが歴史上に登場することを支えると、この本は紹介しています。

 この本を読めば、いかにダーウィニズムが生物学に暗黒時代をもたらしていたか知ることができます。突然変異と、自然選択と、中立説。この呪文で、あらふしぎ、ネズミがサルやクジラになってしまう。ダーウィンは、クマがクジラに変わるという言を「種の起源」の第六版で削除しているというのに。

 また、教科書でお馴染みの胚の発生段階の図がヘッケルの贋作であることや、大腿骨や歯や頭蓋骨のかけらだけをもとに、サルと人の中間のような体毛をはやした想像図を復元図として信じ込ませたことなど、南京大虐殺をまことしやかに載せていた社会科の教科書問題にまで発展しそうな内容が書かれています。殺された遺族のいくつか証言は本物であろうが、同時期に南京の人口が10万から20万に増えているといった情報があるなら、反証はいくつかあろうが、マクロの視点で見て「大」虐殺と言い張ることは不自然だと思います。この「反復説」も教科書に載っていたことは、何かの意図を感じてしまいます。
 「キリンの首」掲載のヘッケルの反復説への批判。左の図は、ヘッケルが示した「魚段階にあるテナガザルの胚」(上)と、「魚段階にあるヒトの胚」(下)。しかし、右側の図が本当の胚であり、魚に見えるように切り落としてしまったという。こんなことはすぐ確認できることと思うが、反論はないのであろうか。ヘッケルの説は誤りを含むことは知られているが、さらに虚言であるなら、学校で教える必要はないでしょう。 

 実際、この図が脳裏に焼き付き、ヒトは昔、魚や鶏であったと思っている人が多いようです。 

 ネブラスカ人の男女。ネブラスカ州で発掘された化石にもとづいて描かれた復元図であるが、たった一個の臼歯からこの原人ができ上がった。しかも、後にその歯はイノシシのものと判明しています。ピテカントロプスの肖像画も、体毛やしわの一つ一つまで克明に再現されているように見え、実は一個の大腿骨と歯と頭蓋骨のかけらから作り出されている。 

 すべて憶測でしかないものを、事実のように喧伝することは科学ではありません。 

 今西氏もある講演会で、この本を紹介していた。反自然選択説者に多くの勇気を与えたことでしょう。

 しかし神学の創造論者を批判する章を見ると、外国ではいまだ聖書原理主義者に対する配慮というものが必要であることがわかります。欧米でダーウィニズム批判をすると、進化まで否定する創造論者に取り込まれる危険があるため、十分に自然選択説をたたく手を伸ばすことが難しいのではないかと思われます(グールドなどのように「断続平衡説」で漸進説を否定しておきながら、ダーウィニズムに固執しているのを見ると、創造論者に対して一線を画すための防御ラインに思えてなりません)。

 新しい進化論がのびのびと自由に芽生えてくるためには、日本という土壌がふさわしいとゆうようなことを、「進化論も進化する」の中で米本氏が述べているがその通りだと思います。

 

『ダーウィン再考』  ノーマン・マクベス 長野 敬/中村美子訳 草思社

 

 本書は「キリンの首」より以前の本であり、内容はダーウィニズムに変わる新しい理論の探究といったものではありません。古典的ダーウィニズムの矛盾点を鋭く衝いている点は、法律家としての才能をよく発揮した内容と思います。

 

『新・進化論』 自然淘汰では説明できない! ロバート・オークローズ、ジョージ・スタンチュー 渡辺政隆訳

 

 この手の本で、私が最初に手にとった本がこの本です。私事ですが、大学の講義で、進化に関する本を読んで感想文を書かせるレポートがあり、そのときこの本を選び本の論旨にしたがって紹介して、怒られるかと思ったら非常に誉められた経験があります。

 ダーウィニズムの問題点を、自然選択、還元主義にあてている点は、類書と同じですが、実例を多くあげ、また哲学的体裁のもとに章をすすめています。自然界が、競争ではなくいかに協調に満ちているかを強調しているあたり、著者らは生物に心魅せられた方々でしょう。ダーウィンや古典的ダーウィニスト、自然より研究室に帰属している方は、進化の推進機構を同種の個体間の闘争におくという、自然選択説の要請どおりの眼鏡でもって生物をとらえ、多くの人にいまだそのように信じ込ませてきましたが、白紙の目で見ると自然界は、4章の「競争か協調か」にあるような協調の世界なのです。西洋に代表される個人主義という人間中心の視点で、生物を個体中心的に見ると、草食動物が食べられている場面は弱肉強食と競争的に受け取られることもやむをえないのですが、これこそ彼らが学問界から根絶しようともくろんでいた人間中心主義であることを忘れてならないでしょう。

 このように、徹底した調和思想が本書の魅力です。この調和と美と目的性、階層性への探究が、宇宙論、人間原理へと歩み寄り、最後はトマス・アクイナスの言葉を借りて神にまで筆をすすめることになっています。

 ネイチャーに紹介された今西錦司の学説も、すこし引用している部分がある(p.267)のですが、もっと詳しく太平洋を隔てたところの調和と美の求道者を知ったら、おそらく著者らも喜ぶのではないでしょうか。

『腐敗の時代』 渡部昇一 文芸出版

 「歴史を見る目」という章があり、進化論はイデオロギーの一種であり、自然科学ではないと批判しています。専門の語学領域を駆使して様々な方面から、進化論がもつ人を信じさせやすい傾向を切ってゆきます。「進化学者は全側面角の計測に意味を持たせようとしているみたいである。・・・ゴリラは55度、アウストラロピテクスで77度、現代の黒人が80度、日本人が85度、スイス人が90度だと言う。これはあたかも類人猿からスイス人までの進化段階を示しているように見えるが、そんな馬鹿な話はないだろうということは、日本人が法隆寺を建てていた頃にスイス人が何をやっていたかを考えればすぐわかる。」などは、渡部氏の識見からはスラリと出てくる常識なのであろうが、このような引用の部分に騙される人がずっといたのです。こう考えると西欧人の茶番が、進化論の影響を世界規模に後押ししたように思えてきます。

 アメリカの学者、ルイ・アガシが進化論を否定した理由の一つに彼の神秘体験のことも紹介されています。自然選択説をダーウィンと同時期に唱えたウォーレスも、人間の起原のところで自説を振り払っているのも、スピリチュアリズムに深い傾倒を示していたといわれます。いずれも人間を知っている人は、進化論を信じることはできないようです。

『自然に還る』 福島正信 春秋社

 自然農法から、禅や老荘的な「自然」と神とを同一視する思想までとく一農家。「自然農法 わら一本の革命(春秋社)」など、氏の著書は日本の不耕起直播農法ではバイブル的存在となり、世界でも読まれているようです。自然という、捉えどころのないものを、「農」を通して求め続ける姿を見ることができます。

 氏もまたダーウィンの進化論に手厳しい。「ダーウィンの進化論は、一時的な仮説論にすぎなかったといえるでしょう。・・彼の、進化論の骨格をなす適応性による自然淘汰・・を自然の姿と推定した理論が錯誤です。」と、批判の論点を自然選択説におきます。選択の基準は人為的なものであって、ライオンもウサギも強弱の差はないとみるのは間違いがなく、今西氏と共通の自然観が述べられています。

『神と科学』  ジャン・ギトン+グリシュカ・ボグダノフ+イゴール・ボグダノフ 寺田礼雅:訳 新評論

『生命=偶然を超えるもの』  W.H.ソープ 吉岡佳子:訳 海鳴社