4. 今西自然学と観念論--自然に目的論を!--
 

 学者としての態度としては、物質を構成するものに対して、知性や目的を生み出すものという見方はあり得ないとされています。このように客観に主体を認めない態度自身は、科学を真理とするための主観といってもいいのですが、一応科学の名のもとには、自然に時間の経過を知る主体は存在しないというルールになっています。

 同じく、自然に目的を観る見方は、第一の自然科学からは排除されなくてはならないとされています。
 ・サンゴや有孔虫の化石は、人間に白墨やカルシウム剤を与えるために沈殿したのだという説は、非科学的とみなして当然のように言われます。
 しかしまた、
 ・ウグイスのさえずりは求愛のためであり地鳴きは警戒などのため、という事は言い得るし、水生昆虫のタガメの前足は捕食のためという説は目的論的な書き方ですが、妥当なもののように思います。
 ドイツの哲学者カント(1724-1804 )はこの二種類の目的論の差異を明確にしていましたが、両者とも科学として採り入れることは避けました。あたかも、そのように人間にとってそのように見える、という立場を超えなかったのです。

 この都合のいいところをしっかり守っているようにして、後者を目的論風にいわないように、そのように偶然、行動や形態を備えた個体が生き残って、たまたま今あるようになっているのである、と生物を解釈するのがダーウィンの進化論です。たとえばタガメも、水中に生活圏を広げたカメムシの仲間のうち、たまたま前足に、刺と鎌のような形態を備えつつあるものが生存に有利であったため、あのような形態をしている、といった具合に。生物を対象としていれば、目的論を口にしたいのは実は生物学者達が一番そうしたいのであるが、何故かストイックにこの壁を超えずにいます。いってしまえば、目的論を持ち出さないで生物の形態変化を理論的に示せる唯一の理論がダーウィン論であり、唯物論の砦だったのです。

 カントの時代それ以前も、神の証明のために、自然の美や合理性を持ち出してくる人が多かったのですが、神の御技をたたえた天体の運行の美は、物理学によって陥落し、神学者にとって自分の地位を安定させる装飾物は自然や生物にしかなかったのでしょう。彼らの言論は妥当なものもあれば、先のサンゴのような目的論を神の証明にしようとする人々もおり、健全な生物学の立地条件は確固としていなかったのでしょう。こうした言論を学問世界から線引きするためにも、カントの自然哲学は目的論を排除しなくてはならなかったのです。神を信じ、形而上的世界も愛していたカントにとって、神はそうした被造物から証明する必要はなく、ただ神を信じればよかったのでしょう。信じればそこにあることは自明です。信仰以外に神を証明する手段はなく、自然の美や合目的性は逆に神から導かれるものなのでしょう。

 そうした、神学者による目的論の乱用を防ぐ手だてが、科学の発展の土台となり、またいつのまにか科学の障壁となってしまっています。

 然に目的がないのではなく、一人の卓越した知性(カント)が自然に目的を与えなかったのです。後世の私たちは、この知性にいつまでも甘え寄り掛かっているのです。カントは自然に、空間と時間の対象性のみを与えたために、以降、科学は古典力学も、相対性理論も量子力学も、時間の向きがないのです。そのおかげで、誰がどこでいつ試験を行っても再現性のある結果が得られるようにはなっています。その原理には、質点や理想気体など現実にはないものを用いられているため、得られるデータは必ず近似値ですが、しかし実効性はあるので、科学はいまだ信頼ある真実を勝ち得ています。
 
 一方、自然に目的があるという見方は、カントの判断力批判を受け継いだ、同じくドイツの哲学者シェリングによって学的に実在性を与えられています。カントはニュートン力学によって切り開かれる世界を哲学化しました。その力学によっては還元されない、上位の化学領域と生物領域を哲学化しようとしたのが、シェリングやヘーゲルであったのでしょう。自然は、人間にとってあたかも目的があるように見えるのではなく、人間精神によってそう見えるということは、すでに自然は精神的なのだという確信です。両人とも、いまあるような物質が時間を経て人間にまで高まる進化論は断固反対したにちがいありません。そのようなことは観念論では考えられないのです。 

 さて、今西錦司は、昆虫、馬などから霊長類へ研究対象を移し「人間」を知ろうとしましたが、賢くもサルから人間が進化したという説を証明することをあきらめています。このあきらめは、知的廉直を含むすさまじい決断であると思います。それは今西自然学の方法に限界があることを自身が知っていたからだと思います。今西自然学の限界は、おそらくフィヒテやシェリングの自然哲学と同じ限界をもっています。すなわち自然を知る以前、あるいは同時に人間知性もなくてはならない、ということです。自然を知るための「我思う」主体が必要なのであり、人間や人智が自然の盲目的成長をまってあらわれてくることは、考えることができないのです。

 シェリングの自然哲学や同一哲学にも、人間の出現は正確には歴史づけられていないと思います。フィヒテは唯一の自我から、悟性のカテゴリーなど様々な思惟形態が発生する歴史を語り、シェリングは、唯一の絶対自我(=絶対者)からもろもろの自然産物が精神の光を帯びて産出される様を語りました。しかし知性の多様化と、自然の多様化の歴史について統一された歴史が描かれることはなかったのではないでしょうか。これはヘーゲルの手によって描かれた領域であり、最終的に人間の出現は宗教の述べる領域のはずです。その領域は静かに受け入れるものとして、科学はそれを証明する婢としての分に徹しようとするならば、シェリングの自然哲学は、科学哲学でもあると思うのです。すくなくともはやく科学は唯物論の婢としての地位を脱しなくてはならない。

 己を精神化したもののみが、自然に精神を観ることが出きます。その自然精神は人間を離れて存在するものか、人間精神が移し入れたものか、同一のものであるか、その区別はより高度な哲学の課題であり、ここでは論じられませんが、あるものはあります。
 自然はずっと人間と連れ添いながら、栄養と住居と衣服その他を献身的に与えてきました。その自然を技術の方便としてはまだしも、本質的に物質として、機械としてしか観てあげられない人間精神というものはまだ発展途上のものと思います。我々は自然を機械としてみて見る一時代を過ごし、ある程度の物質的繁栄の成果を得ました。
 この次に、自然に目的論を与えた科学を並列させることが、人間精神の熟成と思います。
 生物個体の上位階層に、「種」があります。種とは、人間の五官による経験によって知られるものでもあるが、それのみではけして証明できない存在です。このサイトでは、終始形而上界にその種個体の種をあらわす図を、その生物の絵で表現しておりますが、これはまた未熟な表現方法であって、種とはその種をあらしめているルールそのものでもあると思います。人類が唯一の仏神を見出すまでは、生物に種を観る余裕はないのかも知れません。同様に、人類が、自分自身の人生目的を見いだせないうちは、生物に目的論を与える知性はないのかも知れません。
  
 今西錦司氏最後の著作となった『自然学の展開』の最後の節は「世界宗教の出現」です。釈迦とキリストを、尊敬する人物にあげ、このような偉人が今後現れるかもしらんといいます。「しかし、こんど現れるときは、一人で出てきて、一つの世界宗教を作っていただいたら、それで十分のような気がする。」というとき、一生にわたり、生物の世界の多様さの中に唯一のものを探究してきた生物学者には、人類の唯一が見えかけていたのかも知れません。