経験論からカント ノート

 
このページは、サイト作成のためにまとめたノートであり、文章は分かりにくいと思います。ただ単語が多いため検索にはかかりやすいと思い掲載しました。ここから、ぜひホームへたちよって下さい。

英国経験論


 私たちが、当たり前に私たちをはなれて、「ある」と考えている自然それ自体を認識することは不可能であって、知性が受け取るものは外界からうけた経験と経験から生ずる反省である(ロック)。
 すなわち私たちが、自然として認識できるものは、知覚のみであり、存在するのは観念だけでしかない(バークレイ)。よって科学的真理と呼んでいるものは、時間的・空間的に次々と経験される我々の観念が、どのように結びついているかという習慣にほかならない(ヒューム)。

 ソクラテス-プラトンは、生まれる前にすでに知っていたことを、私達は肉体に宿ることを通していったん忘れてしまい、またこの世で経験と重ねることによって思い出す(想起する)ことが理解すること、ということを説きました。デカルトもこの生得観念を神より導いています。ロック(1632-1704)は考える能力が神より与えられたことは否定しませんでしたが、その生まれつき備わっている観念を否定して、生まれてから以降の感覚された経験を私達の理解のよりどころとしました。いわゆる、タブラ・ラサと呼ばれる白紙の状態が、生まれたときの人間の心であるとする考えです。このたとえでは、白紙とは何か、ペンは誰が用意したのか、ペンははたして白紙に作用できるのか、などということがわかりませんが、感覚器官を通じて物質から得られた経験(感覚)と、心の内面的な経験(反省)が、白紙に書き込むすべての観念であるという、現実的には健全な立場です。人間は「無記」(白紙の状態)で生まれてくるのであり、その後、いろいろな知識を得、経験を経て、自分の個性なるものをつくっていきます。しかし、この心の内容はすべて外からの経験のみに由来するという立場を徹底してゆくと、普遍的な真理とは何かということが、疑わしい偶然性に陥ってしまいました。

 目の前にある、石について、何か客観的なことを述べようにも、それは「石」そのものではなく、感覚を通じて個人が得た、石に対する経験とその印象に過ぎず、その石を放り投げて描く軌道方程式も、過去たまたまそのように石が振る舞ったことを定式化しただけであり、違う場所・違う時間に行ったときにも真理であるかは習慣上確からしいとしかいえなくなってしまったのです。
 我々の知識が経験によってのみ獲得されるならば、あるコップをみても、それを誰もが同じようにみているかどうかは、決してわからないし、私が「赤」と思っている色調が、あなたにとって同じくらい「赤」かどうかを、比較することはできないことになります。決して同じものは見えないのであります。

 バークレイ(1685-1753)はこうした外界にある実体は、観念であるという唯心論に傾きました。しかし外界の存在を否定したのではなく、経験によって知覚されずにあり、それらの情報をあたえるのは精神として神である。自然科学の真理を与えるのは、神であり、我々は信仰によりそれをうけとるということを説きます。カントの物自体もそうですが、このあたりの経験と認識の問題は、「月は見ていない時に存在するのか」という量子物理学の問いを思わせます。

 ヒュームにいたって、経験のみを唯一の認識とするあまりに、物質的な実体のみならず、認識の受取手である精神も懐疑の対象となりました。 自分とか、私というものも、次々現れては消えてゆく反省的経験のつなぎ合わせに過ぎず、我々はこの仮にあるようなものに対し、私とか、自我とか呼んでいることになります。
 ロックはデカルトを受け入れているところもあり、大陸合理論の「神(理性)の信仰」の部分を取り入れていますが、英国経験論は、少しずつ合理論の要素を消失し、懐疑論という、哲学が求めていた普遍的真理を見失う地点へと運ばれてゆきました。生得観念を否定された哲学は、まるで水源を止められた川のようにしだいに干上がってゆくかの様でした。



頼りなき経験

 これは、ある意味において、デカルトが見出した「我思うゆえに我あり」の立場において、我の精神が、神の誠実を信頼して打ち立てた「物体:延長をもつ客観世界」の客観性を、再び疑うところまで逆戻りしたということができるでしょう。デカルトも、あらたな真理の構築、諸学問の統合のために、いっさいのものを疑って、疑っているときに唯一疑えない「疑っている我」すなわち「我思うゆえに我あり」を発見したのでした。

 この我は、完全性という神を根拠に、座標の定点のように、縦・横・高さなる三次元に拡がりをもつ物質世界と精神の世界という二元の世界観を構築しました。物質世界と精神世界が分離された結果、この両者はどのように関連をもつか、精神はいかに物質を認識するのか、ということが問題となりました。この二つの世界は、独立に運行していながら神の予定調和によって一致しているという説も出されました。

 しかし英国経験論を押し進めてゆくと、精神が物質界の情報を受け取るには、感覚的経験をはさまなくてはならず、すると感覚的経験は人類普遍の真理をしめすことはできない、ということを認めなくてはなりませんでした。

 もうひとつ加えておきますと、デカルトは植物をはじめ動物も、すべて物質世界に押し込めました。動物精気というものが、身体的なものとして扱われたため、結局動物は機械仕掛けのロボットと考えられるようになりました。精神とは人間の精神であり、それ以外は機械として扱われるようになります。しかし、ここから人間の身体が機械であり、さらに、精神を否定し人間も機械にすぎないという思想に堕するには、それほど時間はかかりませんでした。物質的享楽こそ人間の目的であり、信仰など役に立たないとする人間機械論、あるいはそこまではいかなくとも動物機械論は、精神の素晴らしさ、そして自然にひそむ精神性に触れた人々にとっては決して満足のいくものではなかったのです。そして、ドイツに形而上世界から、若々しい精神的ムーブメントが起こってくるのです。ドイツ観念論哲学です。


イマニエル・カント(1)
純粋理性批判

 カント(1724-1804年)は、後に続く哲学者に比べ、ニュートンの示す物理学的な世界観の精緻さに信頼をおいていました。絶対空間と絶対時間の中に、質点を導入すると、その質点を原因としてニュートンの運動方程式と重力理論のもと、質点の運動が予言できることに無上の信頼をおいていました。「純粋理性批判」が書かれた理由の一つは、この信頼が、英国経験論による科学的真理への懐疑より強固なものであったからでしょう。
 科学と哲学の普遍性を示し、形而上学、神、信仰や、人間の善性を守ろうとして様々な批判書を世に問い、人間は何を知り得るかという世界観の構築に努めたのです。

 科学的真理はどのように守られたのでしょうか。たしかに私達は、物質界を認識するためには経験が必要です。しかし、認識の分析により経験からみちびかれて得られたものではないものが残ったのです。それが時間と空間でした。私達の経験を可能にする条件として、三次元空間+時間の4次元時空間が、経験を可能にならしめるために経験以前(ア・プリオリ)にひつようなものであることを明らかにしました。ロックの経験論には、白紙が必要だったのですが、その経験を書き込む白紙とは、時空のことであり、これは経験によって得られたものではなかったのです。空間はニュートンにとって神の感覚器官であったのですが、カントも空間と時間がア・プリオリな直感であるという表現をしています。カントは、この時空に、我々は何を取り込むことができるかということ問いにも、経験では答えられないとし、経験以前の形式として悟性の吟味をします。結局、絶対的に経験のみしかないならば、十分に認識することはできないということです。
 白紙と12色入りの色鉛筆(純粋悟性概念)を、我々は生まれてからの経験によってではなく、すでに持っている存在だということを明らかにしました。悟性によって与えられる時空というスクリーンに、カテゴリーの形式を通した現象を、私達は自然界とか、物質とか、外界にあるものとして認識していたのです。そして現象の奥にある、実在性は物自体と名付けられます。この物自体に迷い込み論理を立てるのみで、現象界との一致をはからない形而上学をカントは学問の世界からは追放したのです。これは近代科学の哲学です。カントが現今の生物学を見渡せば、おそらくあいまいで不正確なダーウィニズムを追放することでしょう。
 
 外界の経験は、私達に渾沌とした無秩序な状態で次々に飛び込んでくるのですが、これに秩序と関連を与えているのが、私達の主観でありました。主観なくして、私達は、感覚の刺激をしることができず、自然現象や自然の法則は人間がうけとったときには、すでに時間的・空間的に加工されているのである。科学法則が客観的真理であるといえるのは、自然もともとがそうであるとする合理論ではなく、主観の産物であるからであるのです。では、自然が主観の産物であるならば、その普遍性、誰にとっても、同じ科学法則が成り立っているようにみえる理由は、どこに求められるのであろう。

 それはバークレイやヒュームのいう個人的主観ではなく、超個人的主観という人類全体の主観が、客観世界を産出しているといいます。超個人的意識の、無意識的な能力が、時空と、何を知りうるかの認識のカテゴリー形式を与えていて、これを「生産的構想力」と呼びました。この個人的自我を超える自我の考えは、フィヒテ、シェリングへと芽吹いてゆきます。認識に必要な経験以前の吟味を、形而上学の任務としたカントですが、こうして自説を超えてゆく種を後世にまいていたのです。

 カントによって、近代自然科学の哲学的基礎が入念に固められたといってよいとおもいます。デカルトが踏み固めた充たされた空間から純粋な三次元空間を抽出し、ニュートンは絶対時間と質点を導入し、運動を与えた。その質点の動いて回る4次元時空間を、カントは自然科学のために、整えたのです。ニュートンのプリンキピアが、「自然哲学の数学的原理」であったのに対し、カントが著したのが、「自然科学の形而上学的原理」であったことは、それぞれなにを目的としていたかが分かると思うのです。ニュートンは、その著書によって、自然哲学の中のさまざまな領域の中の、代数・幾何学によって説明がつけられる部分の叙述を行い、それ以外の普遍者へと通じる自然の部分があることは承知しておりましたし、カントもまた、補完するようにニュートン物理学の有効な範囲を特殊な自然科学の領域として位置づけ、それ以外の経験的な対象から離れた世界を区別したのです。



科学は経験論を超えている

 話はすこし外れてしまいますが、科学の重要な法則が経験から導かれていないことは、同時代のバークレイが、知覚されないものは実在しないという経験論の立場から、絶対時間と絶対空間の存在に批判を送りましたが、ニュートン自身も時間と空間を経験から導いていないことを認めています。アインシュタインによると「ニュートンが、彼の思想体系を経験によって必然的に規定されているものとして提出し、かつ経験の対象物とは直接関係のない概念の導入を最小限にしようと、あらゆるところで努力していることは明らかであるにも関わらず、絶対空間、絶対時間の概念を設定した。」ということであるのです。またそういうアインシュタインも、「光速を超える速度はありえない」という定義は、経験から導いたものではありません。

 経験(データ)のみでは、重たい物体と軽い物体の同時におちるということも導くことができなかったでしょう。科学の法則の発見には、まず理論・直感があって、その後に思考実験・実験によって導かれています。もしそうした直感が働かなければ、いまだに物体に力を与えればその方向にいつまでも動き続けるという慣性の法則も、経験から発見されることはなかったでしょう。たとえば酸素の発見者は、酸素の気泡を最初に発見した中国の錬丹術師でもネアンデルタール人でもなく、酸化と還元の理論によって、酸素の存在を示したラボアジエであるというのは、理論が「事実」を造るという言葉で、村上陽一郎氏が述べておられることです。磁力が距離の2乗に反比例することも、当時の実験データからでは、2.0011とか1.9978乗という近似値しかでて来ないでありましょう。それを2.0011乗ではなく2乗とできるのは、理論が先立ってあるからであり、データが科学を進歩させているのではないのです。


カント(2)
実践理性批判

 話を戻しましょう。こうして科学的精神を満足させたカントは、これと宗教的・形而上学的情熱とを一致させるよう、「実践理性批判」を著します。人間は、何を認識できるかという問いについては、時空間に映した現象のみという制限を与えたのですが、私達の精神は、この狭い認識世界では安心と満足を得ることはできず、理念をもとめ飛翔し、求め続ける目的があるのです。この目的を、4次元時空間の経験のなかにもとめることはかつての形而上学者のおかしてきた間違いであり、この目的は、信仰・道徳的な意志による確信によって達成するのです。
 純粋理性の世界は現象がそうだから、そうであるという消極的な世界。しかし人間は、最高の善と幸福を求める意志があり、実践理性の世界が開かれる。そこでは道徳律にしたがって人間としての自体、叡智へ到る。時空間の自然法則に制限をうけた存在でありながら、いやそうした存在であるからこそ、道徳法則の要請する完全な善、本来の自由、真の永遠を求めてゆく。こうして、科学を基礎づけた自我は、物自体の次元にある善へと意志をもってわけいり、その善へと向かう途路の現象を、誰にとってもあてはまることを願ったのです。この考えによって、物自体を克服し、その道筋を「学」となさんと志したのがフィヒテでありました。


カント(3)
自然(現象)界と道徳(叡智)界との統一・・・判断力批判

 こうして理性よって世界を二つに分ける考え方が提唱されましたが、しかし、単に自然界を必然の法則がおさめる死せる世界とみるのではなく、あるいは実践理性を、現象界を捨てて人間にとっての物自体、善の理念へ通じる叡智界のみに規定したのみではなく、「判断力批判」を通して、人間が自然の合目的性を見抜いてゆくことをもって、二元論の調和をはかろうとしました。そうでなければ、人間は自由に基づく道徳を、私たちの普段接する世界へと実現させることができなくなってしまいます。このように、この二つの世界の関連は、フィヒテ以前にカントにも、自然界に対する、道徳界の優位、階層、次元の高さが現れております。
 デカルトは、動物を含めた自然から精神(我思う精神)を分離し、近代科学のための簡明な(延長という)世界観を与えたが、カントは、自然はあくまで機械的な運行をするが、それに合目的性を見いだしてゆく判断力を与えた。

 その統一は、自然界のうちに合目的性が存在すると考えられることに依存します。人間の物自体が、善を求めそれを現実化しようとする目的があるように、自然界にも力学的必然の法則以外にそうした物自体の自由による目的が、自然界に顕れているということはないだろうか。

 そのような自然の合目的性は、美的な対象と、生物のなかに見出されます。
 美や崇高は、対象そのものの絶対的な性質ではありません。対象の形やバランスが、主観ののぞむがままの形で存在している場合、私たちはそれを美しいと感じます。5月の山のさまざまな濃淡が織りなす緑と、空の青さ、田畑から淡くこもってくる水蒸気のベールの一風景は、自然が意図的に合目的的におこしているとは考えられないのですが、そこに無意識的な合目的性を感じる。これを主観的合目的性と呼びます。

 さて、カントのところで一番説明したかった、生物の合目的性についてですが、生物(有機体)には、我々の目に映る生物体自体に合目的性が見出されます。個体の一部分である器官と生物体全体に統一的な関係があります。クジラのヒゲ、ハヤブサの風切羽、それ単独があるということはあり得ず、すくなくとも生物個体の存在を目的として存在しています。ある器官が、他の部分のためにあり、調和した生物体は、機械論的な物理法則を原因に考えることができないのです。目的とは、ある事物が自ずから原因であり結果であることであり、ある事物の根拠となっていることです。たとえば生物種にとって生物個体が生殖を通じて種の原因であり結果であるために、生物では、個体は種の目的であるといえるのです。

 我々の判断力は、自然そのものを目的にかなったものとみなさざるを得ない。自然とはという問いに対して、あくまでも機械論的なものとして捉えるフィールドを近代科学のために提唱したカントでしたが、人間は自然をそのようにのみ観ることのできない存在であり、あたかも目的にかなったものとして観る目的論的判断力をもつことを主張したのです。
 カントの穏健さは、生物は人間主観にとって、あたかも合目的的にふるまうとして、その客観性を学問として打ち立てることを拒みました。神が生物を創造したという生物学は、ダーウィンを待たずとも、カントによってその可能性を閉ざされていたのです。しかし、繰り返しますが、生物のもつ合目的性を否定したのではありません。経験的に客観的であろうとする近代科学の実効範囲では、合目的性を自然界に帰属させないことを提言したのです。 人間自体に対しては徹底的に分析をし、その善なる生き方を説いたカントでしたが、生物の物自体への探究という形而上学的欲求に比べ、ニュートンへの信奉、自説への徹底した信念のほうが勝っていたといえるのでしょうか。この判断力批判による自然界と精神界の一致は、シェリングが課題とし、生物へ精神を吹き込みます。
 私は、せめて生物学者が、カントの視点にまで戻って(昇って)、生き物を眺めていただきたいと祈っています。つまり生き物に魂や目的があるということを学問としては容認にないにしろ、否定せず、人間であればそういう見方もフィクションとして十分成立するという穏健な立場です。唯物的、唯経験的な世界のみが、この世界全体であり、その法則から人間の生き方まで論じるような、社会生物学のような悪夢から、目覚めていただきたいと思うのです。
 
 善を実現せよ、科学法則の下へ。善とは、絶対善をもとめてゆくそのことであり、その善を、また経験則の世界へと持ちきたらすことこそ人間の目的であると思うのです。

2001.6
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