2. 構造について

 一定の構造をもった世界

 この世界はものの世界であるといえます。その中で無生物か生物かという判別はほぼ私達に共通に与えられている認識に思えます。もちろんそれができるのも教育のなすところであって、学者でなくては識別できないものもあるでしょうが、私達が食べることのできるものは水や塩などをのぞいて有機物ばかりであるので、生物かそうでないかの分別は、太古の昔からおこなわれていたことでしょう。いや、多くの動物も取り込んでから食物かどうかを判定しているのではなく、口に入れる前から食べ物を知っているのであり、食べられる前に敵を知っています。人間だけではなく、この生物同士の認めあいは、生物の根元的なものではないかと思われます。

 生物ではなく、生物の形態を持っているものはなく、生物の構造を持ったものが生物といえます。しかし今西さんはいいます。「犬と松の木とアミーバを並べてみて、一般の生物の形を機能できるか。」と。そして、普遍的な法則として、生物の身体が細胞から成り立っていることを明らかにしたことが生物学の成果であると続けます。今までも細胞の有無で生物非生物を判定していたわけではないでしょうが、生物と仲間わけしていたものは細胞を持っていたのです。細胞を構造の単位にもつもののみが生物であると準拠づけられたのです。

 私達が目にする生物は、すべて生きている細胞一つから分化発展してその身体を作り上げています。そこに、世界が一つのものから分化発展したという成立条件を、生物も反映させていると見ているのです。

 

構造と機能 

 生きているということは、構造というだけでなく、機能が考えられます。細胞も、構造だけでなく、機能を持つものです。それも一つの細胞が一つの宇宙を形作っているほどに複雑で、有機的な連合を持った構造と機能を備えています。細胞は機能としても、生物の構成単位として考えられ、また、様々な形態を持った生物にも、機能があります。

 

 「様々な機能を発揮しうる構造であってこそはじめて生きた生物の構造なのであり、そうした構造であってこそまた生物はそれに応じたいろいろな機能を発揮することによって、生きているといいえられるのである。」「構造がすなわち機能であり、機能がすなわち構造であるようなものであってはじめてそれが生きた生物といわれるものである。」

 

 構造と機能を合わせ持つものが生きたものとして考えられます。構造と機能の相即(構造即機能、機能即構造)が生物存立の基本原則(生体存立の根本原則)である。これは、生命とはなにかを考えて取り組んでいる一つの知性の思想であり、このような文を冒頭で展開している日本の学術書は生物学という分野においては希有なものと思います。だれも生命とはなにか知らないのですが、知っているかのように博物学的に生体の形態(DNAシークエンス)を微細に書きつづったものがほとんどの生物学の教科書のようです。

 では、なにゆえに構造機能の相即が生体ないしは生物存立の基本原則なのであろうか。

 「さてわれわれの生きている世界というものは空間と時間の合一された世界である。そこに万物が存在しかつ万物の変化し流転しつつある空間的即時間的な世界である。」

 「この作られたものが常に新しいものを作っていくところに、生物が構造的即機能的であるといってもそのとくに生物的な特質を見るように思われる。」

 ここの論考は、西田哲学に影響を受けたものと思われるが、私にも、ここの部分の真意はまだつかめないでいます。生命を持って生命をつかめるのであろうか、そのような疑問に負けず、生命を探究してゆきたいと思います。

 

無生物的生命 

 いくつかの抜粋をおこなって、この章を終えるとします。また、本書の理解を深めた後に、書きかえるつもりです。物質といえども原子や分子の構造、機能を考えると、そこに運動があり、静止したものはありません。この世のものは全て時間を内包しているからです。今西さんはこの物質を、無生物的生命とよんでいます。ここもシェリングなどのドイツ・ロマン派の思想家と非常に近い言い回しになっています。生物、無生物の間にも共通するものはやはり相似点を見れば多いのです。そうであって、もと一つのものから生成発展したという、一章のことばも一つの思想で貫かれるのです。

  「われわれはけっして無から有を生んでいるのではなくて、有を有に変えているだけである。この身体的生長という過程を離れては考えられない生命的生長においても、その生長過程が身体的生長に即したものとして、無生物的生命を取り入れ、これをどうかすることによって絶えずその生物的生命を発展させていくものである。」

 「すなわち相異に着眼するならば、人間・動物・植物・無生物というごときものはそれぞれ異なったものであろう。しかしまたその共通点に着眼したならば、人間。動物・植物・無生物はすべてこれ世界の構成要素であり、同じ存立原理によってこの世界に存在するものであるということが出来る。

 しからば、生命といえどもこれを必ずしも生物に限定して考えねばならない根拠はないのである。」

 「この世界に生命のないものはない、ものの存するところには必ず生命があるというように考えることによってこの世界を空間的即時間的であり、構造的即機能的であるとともに、それはまた物質的即生命的な世界であるといったように解釈することもできるのであろう。」(途中)1999.8