アイデンティティとは(で検索された方へ)
認めあい
プロトアイデンティティとは、それぞれの生き物の個体差にとらわれず、その種に属する個体を含む、種社会というまとまりの中で、その個体同士が同じものであると認めあうはたらきをさします。同じ形態を持ち、同じ生活をするというだけで、各個体間の認めあいが成立するとはいえません。社会を成り立たせるためには、個体同士のはたらきあいが要請され、この仮定がプロトアイデンティティ論として晩年に展開されました。
トンボの一斉飛行、カゲロウの舞踏、バッタの集団移住、ウシカモシカの移動などの例をあげ、種個体の集団行動の奥にある何かをプロトアイデンティティ(原帰属性)という仮説をいれて説明しています。前章までの論考を延長させてゆくと、原帰属性は種社会が種個体を制限し、統制し、進化に導くための仮説であるようにも思われます。しかし、今西氏は、プロトアイデンティティ論は慎重にあつかい、個体同士の認めあいという機能はあたえていますが、個体の種社会や生物全体社会に対する帰属性までを対象にはしていないようです。
また、このプロトアイデンティティの支配が、遺伝的なものか、遺伝子的なものか、それ以外のものか、明確な定言を賢明にも躊躇しており、プロトアイデンティティの射程範囲というものがはっきりしないようです。
しかし、今西生物社会構造や今西進化論を完遂させるためには、どうしても個体と社会のはたらきあいは必要です。同種の認めあいとは、くり返せば最初に現れてくるものとして「性」があります。他にも、同種が集合して生活する種は、同種の認めあいが存在します。これを、化学生態学的にフェロモンに帰したところで、では、なぜ一方がそれを発し、一方がそれを受け取るようになったのかという問題自体は残ります。そこに、個体より上位概念である種の要請が考えられ、そのフィールドにはやはり、帰属性というものを介在させる必要があります。
今西氏の文章を離れ、このプロトアイデンティティを拡大してゆくと、群の移動−たとえば山火事の際に様々なけものが一致した行動をとる話−も、この帰属性に従って統一された行動をするのではないか、あるいはさらに拡大して、ある種が、A種とB種に分化した後も、「元一つ」であったときの帰属性は作用し、どちらかが一方を滅ぼすことなく、すみわけて共存する媒介になっているのではないか、という想像もできます。日野啓三氏との対談では、「生物の個体には種社会に対する帰属意識の他に全体社会に対する帰属精神もあってもよいかもしれない。」とある。対談と、論考は同列には扱えずまた、原帰属性と帰属精神のとらえる範囲の重なりが私には不明確ですが、個体と種の関係性は今西理論の完成のためには導かれなくてはならない。
(この章は、今西錦司氏の用いた帰属性と原帰属性の概念の明瞭な判別がついてから、書き直したいと思っています。ここでは、主に帰属性について述べています。今西氏は、生物の世界に、明確に種個体、種社会、生物全体社会という三つの階層を定義したため、群れ生活者はどのレベルに位置づけるかといったことを考えていました。原帰属性は、その群れるべき場所、棲むべき場所を個々が知っている所へはたらくと考えました。原帰属性は、種に対する帰属性以前の、それをはぐくむ自然環境への認知というべきか。)
ユング
さて、帰属性の展開で、今西氏がユングの心理学について言及している点に焦点を当ててみます。
対談を含めたいくつかの書籍に書かれていますが、『自然と進化』の「断想」という短いエッセイの中にも、「私は最近、河合隼雄君の「無意識の構造」を読んで、そこに紹介されている、ユンクの心理学を知ることにより、これならある程度までゆけるのでないかしら、と思ったりもしている。」と、ユングとの出会いとその手応えをしるしている。
ユングのとらえた世界観を、簡単に図式化してみます。
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(湯浅泰雄「宗教と科学の間:第二章 共時性とはなにか」より改変)
この図式で言う内界は、カントが外界の探究として科学哲学を打ち立てた際、わからないこととして学問の対象とはしなかった領域に相当するでしょう。その時代に、スウェーデンボルグが霊界探訪をおこなったという点、歴史は絶妙に動いています。形而上の世界、感覚にはかからない世界、デビット・ボームのいう暗在系に相当するのでしょう、その精神界に種が実在し、そこから現象界のここの個体に影響を与えているといった世界観を描けないでしょうか。そこで、人間と他の生き物との交流がなされるです。唯物論者はこの図でさす内界、精神界を認めないか、脳という物質で解釈しようとしていますが、これはカテゴリーミステイクです。第一章の「科学によせて」にのせた、アインシュタインが創造的な思考を説明した図でいう、形而上界と内界は同じです。この内界の創造的な世界に心を開き、真実の世界の探訪と外界の一致をはかる仕事が科学者の姿なのです。そのためには清らかで、素直な心がパスポートなのです。
ルパード・シェルドレイクが紹介する、イギリスのシジュウカラが、牛乳瓶のフタを開けることを覚えると、しばらくして交信のない大陸のシジュウカラも同様の行動を示す例(あるいは百匹目の猿)も、いったん精神界の時空間を超越したところのシジュウカラの「種」が場所を超えて、作用したものと考えることはできます。プロトアイデンティティは、この内界の場において働く事になるでしょう。
後半は、ずいぶん大胆に各説をつないでみました。しかし、精神界と現象界の両方を包含した科学論、生命論が次の世紀に要請されているのです。
さて、主に種社会の空間的把握をおこなってきました。そこで、その種の時間的経緯を考えてみたいと思います。すなわち、今西進化論です。