「世界の聖なる、永遠に創出する根源力であり、すべての事物を自己自身から産み出し、制作的に産み出す根源力」


 実はこの文章の引用箇所を忘れてしまったのですが、「ドイツ・ロマン派全集 第9巻 『無限への憧憬』」のシェリングの章、「造形芸術の自然との関係について」には

霊感を受けた探求者にとってのみ、自然はあらゆるものを自己自身から創造し、実際に産み出す、神聖で永遠に創造的な世界の根源力なのである。」

とも、あります。

 自己を、目で見え手で触れる世界の中から、解き放つ精神力を持ったものにとって、身の周りの自然は、「内なる自然」の姿を語り始めます。これは、自然科学とは別の自然の探求の道でありながら、まったく対立するものでもありません。デカルト−ニュートンの打ちたてた自然科学、そして多くの人が漠然と受け入れている自然科学は、一つの「自然」から、内なる自然を対象からはずし、機械論的に解釈可能な「外なる自然」を取り扱う強力な自然哲学を持っていました。シェリングの自然哲学は、その取り残された「内なる自然」を精神的な領域と認めつつ、科学の対象にしようとする構図をもっているように思います。光円錐(ライト・コーン)の外にある同時世界を一つの有機体として一機に認識した視点の哲学です。
 
 「外なる自然」のみを全自然と考えていてはもう許されない時代になっていると思います。

2004.10


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