シェリング自然哲学のイメージ図

 「自然は眼に見える精神である」、とは、精神の現象化のこと、「精神は、眼に見えない自然」とは、精神もまた、神の創られた自然であるということ。E=mc2
 



これらの図でのA+=Bなどはあの有名な図のものとは異なる

 これら(可視的−不可視的)自然の背後に人間の精神が対立している。人間の観察するという行為が、自然に働きかけるという量子力学のあり様も、自然と人間精神の境目でのできごとである。自然にも精神的な領域がある以上、人間の精神が自然に影響を与えることは当然である。
 自然の精神を、現代物理で物質でないが物質の基とされているクォークを想定してみたが、能産的自然とはなんであろうか。物質の基でなく光として現れるもので、計測にかからないが物質に影響を与え、ここそこに満ちているもの。レプトン?暗黒物質?妄想はてしない・・・。









←―    より人間に近い                より物質に近い―→
斜めの水色の線が、この三次元世界とすると、同じ絶対者を底にもつ光(物質の精神)と自然(質)との比によって、
自然界の諸々の様相が現象化している。といっても、「クワガタとカブトムシのどちらが精神の比率が高いか」という
ような単純なものではない。拮抗する渦に生じた産物に、さらに二つの力が働き、さらに相乗され・・・というように、
産物生成の歴史が、今見ることのできる自然となる。

 絶対者の上の領域全てが自然哲学の範疇であり、これから自然科学でも探究される領域。人間は含まれていない。
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