7.まとめ

 私たちは、太陽や火星の引力を感じ取る器官もなければ、磁力線を感じる器官もありません。
 ニュートンやファラデーのようにそれを観じる精神をもった人がいなければ、私たちはまだ
自動車もパソコンもない世界に生きていたでしょう。私たちは大いなる感謝を持ち続けたいと思います。

 自然哲学は、こうした科学の創始者にいつもよりそって、人類の文化を導いてきたものと思います。
 17世紀、力学が妥当性をもって再現できる三次元空間−万有引力のおさめる世界観が創出されました。
 この世界観では、光を表現することができなかったので、科学者はエーテル仮説のもと電磁波(光)の世界を
表現しました。後にアインシュタインは、光が飛び交う四次元時空間の叙述とこれと物質の世界の統合を
行いました。まだ重力の起源とか科学にはわからない事だらけではありますが、私たちが「自然」と呼んでいる
世界について、
 
A 力学で演繹される(熱学など妥当的に解釈できる)−−物理学の次元
 
A2 電磁波と化学法則で説明可能な−−化学の次元
の理解が整備されてきたというのが、自然科学の歩みであったと思います。

 カントの人間認識の吟味によって切り出された物理学の世界、物質世界を基盤にして、
その後のドイツ観念論の自然哲学は、電磁気学化学の世界の解明に一つの世界観を呈示した
といえると思います。
 
 しかし、さらに高位の
 
A3 生命と進化を説明する−−生物学の次元 
 については、解明された部分が少ないのです。
 次世代の科学の探求する領域の一つが「生命」であるということです。

 現在の生物学は、物理学と化学の次元での表記でしかありませんし、進化論も、向きのない時間を
素材にした物理学と化学の次元での理論しかまだ出されておりません。
 より高次の定義から演繹される、生命の世界の整備が必要とされているのです。
 

(※人間が動植物などの精神と交流することは、アニミズムに等しく、特別高次の精神状態ではないが、この奥にある法則の探求jは科学に値する領域と思う。)


 私たちの心が目に見えないように、自然にも目に見えない自然がある。

 見えない自然を知る方法は、自分の心をありのままに知ること。

 それは自分を知ることと同じ。一番身近な自分を知らずして、周りの自然は知りえない。

 自分の心に応じて、それに等しい自然の世界が明かされる。

 だから人間は機械だと思っていれば、自然も機械。人間も化学法則と思っていれば、自然も化学法則。

 人間は、愛の表現形態と思えば、自然もまた愛。見えない光。
 
 人はもっと優しくなろう。周りの人や、他の国の人々にも、生き物たちにも。

 冬の木立が、枝を重ねて向こうの空に溶けてゆく色は、とても優しい色。

 たくさんの枝に宿る生命が太陽の光を浴びて、それぞれの光を宇宙に放つ色。

 調和された世界に、憩う光の中に私たちも生きる。

 どこかで森が消えたら、私たちは痛む器官を持っている。

 いまはその聴覚を大切にしよう。

 このかすかな振動を守れる強さは優しさなのです。



 小さな魂たちよ。大いなる母の心におかえり。

 人間たちが拵えた物理学の世界から、化学法則のおさめる世界から。

 それぞれのポテンツを超えて、生命の世界へおかえり。

 この星を彩る生命の仲間たちよ。赤茶けた土の塊をこんなに美しい星に変えてきた歴史あるものたちよ。

 人間が、お前たちの世界を脅かすからといって、恨んではいけないよ。

 人間が、「生存競争」という眼鏡からしか自分たちを覗いてくれないと、嘆いてはいけないよ。

 人間たちも、涙しながらお前たちに仲直りの手をさしのべている。

 その手を包んでやりなさい。責める気持ちを捨てて、昔のような優しい手で、そっと。

 その時から、また一緒にこの地球を輝かしてゆけばいい。
 
 人間たちもこの星でもっとも大切なものに気付き始めたのだから、

 ともに顕してゆこう、うるわしき光の国、地球を。

 さあ、小さな魂たちよ。十分に憩えたら、大いなる母の地におかえり。

 この生命の世界にひろがる天国の風景を、また地上世界に描き続けてゆこう。



 与えつづける光と、つなぎとめる愛の両者の光の中、僕らは生きる。

 生と死の両者を与えてくれた、大いなる無限者に最大の感謝を捧げよう。

 無限の生命は、全てを与えられている。
 

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