朱子の自然学

 宋学の大成者朱子(朱熹)(1130-1200年)は、中国のみならず、東アジアにわたり影響を及ぼした思想家であり、晩年は自然学にも親しんだとされています。
<朱子によると、「理」は形而上の道であり、ものの生まれるもとであり、「気」は、形而下の器であって、ものの生まれる材料であるとされます。「また、「理一分殊」という考え方においては、この世界をあらしめているものは「理」であるが、理とは、この世の内や外のどこかに孤立して存在するのではなく、ひとつである。そのひとつのものが、個々の事物の中にあるとしました。」
(『黄金の法』幸福の科学出版より)>

 目に見える万物は、形而下の気と質の合成であり、万物である「一気」が、対立する陰陽や五行の相の配合具合で、多様な世界を形作ると考えられたのです。
 

 

 朱子は、生物の発生について、種の最初の形成は、気から直接に形成(気化)され、その後の生物の維持は生殖(形化)によると説きました。そのため、進化論はなかったとされるますが、種の創造は、霊的な形成を支持する内容になっています。
 気の理論によれば、生物はこの気を受けて生まれてくるが、陰陽の相によって、植物は陰気、動物は陽気からというように、種によって気の配分が異なっています。陽性の鳥の中でも、さらに飛ぶ鳥は陽、キジのような鳥は陰気からできていると説明します。朱子の自然学において、動物の捉え方は擬人的であり、いまの生物学のスタイルからは受け入れられるものではないが、詩人のような天性の直観を学問化の原理に出来た時、それはまた今西自然学が学問として一分野を得たときには受け入れられる内容を持っています。「動物の世界にはある種の社会と文化が存在する、人間において完全に発現するであろうその先行形態が存在する」とは、『朱子の自然学』(山田慶児著)にある朱子の生物に対する見解ですが、今西錦司も類似の考えを持っていました。

 一気が流出して万物を形成するという思想は、新プラトン主義のプロティノスの流出説にも通じ、ギリシャ哲学のイデア説、ドイツの哲学者、シェリングの自然哲学にも非常に類似しているのです。今西錦司の、元ひとつなるものの自己展開が生物進化の歴史と見る進化論は、よく東洋的であるという評価を受けるのは、この朱子の自然学を見てもわかりますが、しかし、また洋の東西に普遍的な自然の見方ともいえるでしょう。1999.12         

(今西錦司の世界)
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