コラム:荘子


 
湯川秀樹さんが、老荘思想より中間子理論のアイデアを受けたことや、「天才の世界」で荘子の自然観を高く評価していることは知られています。同じく、今西氏の京大の先輩にあたる宮地伝三郎さんも、「荘子生態学」という論考で荘子を生態学者の古典として高く評価しております。

 本文のページにあげた(「カモの足は短いが、これをつぎ足せば困るだろう。ツルの足は長いが、これを切りちぢめると悲しむだろう。」)以外にも、「騏驥(きき)とか[馬華][馬留](かりゅう)とかよばれる駿馬は、一日に千里も走るが、ネズミを捕まえることではネコに及ばない。得意とする技能が異なるからである。」などいくつか、棲みわけに関わる内容がしるされています。

 そんなことはわかっている・・・つもりになっていても、実験室に2、3種の生物を入れただけの環境で世代をくり返して個体数を測定すると、A種が競争に有利だとか、B種は劣っているとかのデータを信じてきてしまったのはどういうことでしょう。それはA種に有利な環境をつくってしまったというだけのことではないか。それぞれの種は、自然の中でそれぞれの持ち場で生きているのです。2000年以上も前からの視点に、はっとさせられます。


 『荘子』では、ここから、人間にひきあて、己の持ち場をわきまえ与えられた環境をうけいれることをさとらしめるが、荘子の自然や自然の法則から学ぶその姿は自然科学者の態度ともいえるのです。
 人間の曇った思想にそって自然をゆがめて見ておき、成果を学術的と称してまた人間の行動に当てはめようとする学問(社会生物学)に惑わされてはなりません。

 荘子のように素直に自然を見て、人間が自分の姿を省み、その生命を正しく使うことができるなら、他の生命にとっても喜びとなることでしょう。


[解説]
荘子(荘周)(紀元前367年−同279年)
「荘子の思想の骨格は、要するに、「道に遊ぶ」ということにあります。荘子によれば、「道」とは、天地自然の理法であって、一切の存在を生滅変化させながら、それ自体は生滅変化しないもの、あらゆる時間的、空間的な制約を超えながら、しかも、あらゆる時間、空間のなかに遍在するものなのです。」
(『黄金の法』幸福の科学出版より)

(今西錦司の世界)