コラム:詩人の心

 詩人がこの世界全体をどのようにとらえていたかは、「あるがまま」とか「目に見えるものの奥に向けるまなざし」など表現は異なっても、やはりものの理念、時代の息吹、季節のイデアを読みとっていたに違いない。多くの人の胸を打つということは、一人の個人的な経験から共通のものを感じとり、詩にすることが必要です。

 さて、ここでは、動物や植物、山や森や静物にまで心を通わした宮沢賢治を取り上げてみます。賢治の詩人としての世界観は様々な作品で窺うことができます。「銀河鉄道の夜」も四次元時空間、あの世のお話です。ここでは「ペンネンネンネン・ネネムの伝記」を見てみましょう。「ペンネンネンネン・ネネムの伝記」は、妖怪の世界の物語で、主人公のネネムの立身が描かれています。そして、(妖怪世界の)世界裁判長になって、人間の世界に現象化してしまったザシキワラシや、ほかの妖怪を「出現罪」として取り締まります。名裁判をおこない人気のあるネネムですが、ある時自らが人間世界に「出現」してしまって辞職するところで原稿は終わっています。

 
ちなみに、私はこの妖怪世界の「出現罪」とは、デカルトの精神界と物質界を明確に区分した哲学が、地球を半周して盛岡周辺の妖怪世界に形を変えて達した「御触れ」だと想像しています。きっとそれ以前は、柳田国男さんの『遠野物語』のとおりであったことでしょう。

 あの世の精神世界とこの世の世界の関係を、詩人の目を通して見てみました。純粋な心で世界を感じると、目には見えない世界が広がっていることがわかります。それは直接の経験によって、把握されるものであり言葉を通すことが難しいものです。しかし、この精神の世界に、種という実在を見る自然観が待たれています。生物は、妖怪のように突然現象化することなく、生物は生物から生まれることは常識になっています。しかし、その個体の変化を司っているのは種という全体であるのです。

 さて、「ペンネンネンネン・ネネムの伝記」は「グスコーブドリの伝記」の初期形と考えられます。「ネネム」では物語とこの世界の空間を扱った作品でありましたが、「ブドリ」になるとあの世の視点が消え、一人の青年の物語へとかたちを変えてゆきます。しかし、ネネムはブドリとして「たくさんのブドリのおとうさんやおかあさん」や「たくさんのブドリやネリ」(人類同胞)たちの未来や幸せのために生命を使う、立派な人間に成長しているのです。

(今西錦司の世界)