井坂 枕 (いざか まくら)  (自称)詩人 茨城県  職業;農業関係 趣味;ギター 持戒;正しき心の探究


 雨上がり、まだしずく打つ軒の上、雀たちがはしゃぎ回る。

 私には、どうしても雀ははしゃいでいるように感じられる。 

 ヒヨドリの雛が巣から落ちて、学生に拾われていった。その後、しばらく親鳥であろう、悲しそうな鳴き声で辺りを徘徊し、子供を捜して飛び回っていたのをみた。私には、その鳴き声は悲しかった。 

 子供の頃、ムクドリの雛を拾った。一日玄関の内に放っていたら、翌日庭にはびっしりとムクドリの群が集まって、仲間を返して欲しいような脅迫を受けた。かなうはずのない人間に立ち向かう、仲間同士の愛のすがたであろうか。

 昨年、学内の通路にかけられたツバメの巣を、通る度見守っていた。雛は次第に大きくなり、ある夏の日に親子ともいなくなっていた。が、翌日だったろうか、ふとオフィスの外を眺めると、4羽のツバメが窓のすぐ近くで旋回していた。今まで眺められていたのを揶揄するかのように、心地よさげに空の遊泳を見せつける茶目っ気をおぼえたが、ともかく最後に挨拶にきてくれたように感じた。その後、親鳥は、校舎の壁のタイルを崖にみたててか、爪でタイルをつかんで止まりまた飛び立つ動作を繰り返していた。つづいて子供たちも、親の真似をして垂直の壁にしがみつく練習をしていた。これを、親が子供に生きてゆく智慧を教えていたと観れるか、偶然こうした習性を表現した遺伝子を持つ家系が自然選択によって残ったと見るか。多くの人に前者の自然観を選んで欲しいと願って、このHPを作っている。

 半年前には落ち葉のよどむ沼にも、美しい蓮の花が咲いている。そのわきを過ぎ行くイトトンボの背の水色は目に痛いほど。自然はなにも語らない。しかし、私たちの精神に、静かに語りかけているのだ。たとえ気づく人がいなくても、私たち人間に、優しい唄を歌い続ける。

 私の机に、The Cellという分厚い、分子生物学の本がある。この膨大な知識体系の多くは、本当のことだ。多くの科学者の英知の結晶である。そして、私にはまた、自然が教えてくれる優しさや美しさも、同じくらいにリアリティをもってここにある。すべて生き物を、遺伝子という物質や、神経の情報処理に還元して説明することは、現在の生物学のパラダイム上では非常に有効だ。しかし多くの人にとって、もっと身近な存在は、生き物を死なせてしまったときの悲しさや、花や森や水辺のある風景で憩っている心である。この心こそ、私たちがいつも連れ添って、経験しているところのものと思われる。これを物質からわざわざ抽出して、近代人類は科学の視点を獲得したが、この抽出した精神は、いつも隣にいる。これに目をつぶって、力学は探求できよう、が、そもそも生命を探求する生物学としては、ものの反面しか見ることができない。

 今西錦司氏も、自然との対話によって、自身の自然観を築き上げたのだと思う。私も自然(大宇宙)の子供として、自然から私達に送られてくる愛に気付き、人類のために生命といったものを探究していきたいと思っている。あくまでも、無言の自然のためなどとは言わない、人間の、学問のための探究なのだ。

 今西錦司論は環境問題を考える上でも、大切な自然観を学ぶことができる。一つの生命が展開して現れているこの生き物の世界。別のものではなく、全ての生き物は一つの地球100%の仲間同士。ゲーテはヒワの雛にえさをやるウグイスの話を聞いて、舞い上がるように喜んだ私達はみな支えあって生きている。生かされている。こんな自然とのふれあいの悦びから、学が自由に展開されていいのではないか。

1999.7

 つかのまの永遠---森のために----  自作

      人があって 鳥が鳴いて 空は青く 草木はさざめく
      森のそばに 水が湧いて すべてが今ここに
 時々とても大きな不安に包み込まれて 明日はあるか明日はあるか 暗い闇に叫ぶよ

 例えばほんの小さな子供の瞳に映った 私達の心の想いに 驚いて胸が痛むよ
消えていった森の声は 悲しいけれど 私達が真実(ほんと)の世界を 築くまで優しく歌うよ
      人があって 日々の中に 残して行く 全ての想いを
      この地球に 似合うように 光に変えたい

 もちろん春になれば 冷たい雪の下から 芽生えた夢が育つでしょう それは誰もつみとれない
これから咲く花の色は つかのまの永遠 私達が真実の世界に 気づくまで優しく見守る
      人があって 鳥が鳴いて 空は青く 季節は流れる
      この地球を 抱きしめたら 光が今ここに 光が今ここに


 今西錦司先生はじめ、様々な文献に当たる毎に、数多くの方が自然と向き合い、人間と向き合い生きておられたことを感じる。敬服と感謝の想いで書籍を拝読し、このページをつくりたいと思う。そして、この地球という星に生まれ、はぐくまれている感謝と、自然や生き物という、美しい景観や楽しい仲間たちに、こころからお礼を述べ、地球を一つに眺めることのできる私達の世代に、新しい生物への観方を紹介させていただきたい。

 小さくは、このページをつくっているパソコン・場所を提供してくれている友人、その他多くの協力者に、感謝の念を送りたい。


 台風のあくる朝大学の講堂にあった街路樹が一本倒れていた。
 太い幹に手をやって、折れた口の木質をなでながら、ご苦労さまと声をかけたら、
 自然に涙がこぼれた。このとき私がないたのか、樹が泣いたのか。