宮沢賢治のこと

 最近なにかの論考で、今西錦司と宮沢賢治にどこか似たところを感じる、といったような文章を見かけました。申し訳ないことに誰がどこに掲載した内容であったか失念してしまいましたが、たしかにその気分はわかるように思います。どこに共通点があるか論述することは難しいのですが、すこし今感じていることを、書いてみたいと思います。

 宮沢賢治(1896-1933)は岩手県に生まれた詩人、文人として、おそらくこのページに検索で来られた方は、知らない人はいないのではないかと思います。その透明な表現と、求道的精神によって繰り広げられる幻燈は、何かしら懐かしい心を思い起こさせます。もうすでにたくさんの解説がなされているでしょう。
 その詩人たる本性は、「竜と詩人」という短い作品の中に込められているのですが、作品の多くは賢治がみずから書いているように、風や雲や光からインスピレーションを得て、創造されたように思います。これも何に書かれていたか失念しましたが、宮沢家は鬼と語ることのできた家系・・・のような文を昔読んだ記憶があります。文学などの評論ではあまりはっきりとは書かれませんが、結局のところ、あの世の霊や精霊の世界をなんらかの形で受け取ることが出来たということです。「ひかりの素足」など、法則にもかなった純然たる霊界文学といえるでしょう。
 純粋で透明な、天真爛漫でけがれのない世界の住人と心を通わせるためには、煩悩からはなれ自らも透明にならなくてはなりません。だからこそ、ストイックに、求道的に生きなくてはならなかったでしょうし、はたしてその心の浄化がすすまないときは、かえって地獄的な世界と通じてしまう苦しみが人一倍大きかったようです。自分のことを「修羅」とやや自己を責めがちになる傾向はありますが、しかし本当に修羅の世界の住人が、自分を修羅と思うことはないのでしょう。阿修羅は、常に正義を行っていると自分をごまかし、正当化して暴れているのであって、賢治のように苦しみながらも自省している我は、すでに修羅ではなく「反省している自分」、峠を下っているかも知れないときも「道」を歩いている自己なのです。「土神ときつね」という作品も、嘘と、瞋(いかり)と嫉妬という煩悩に身を焦がした自分を、悲しい眼で見つめたところから生まれたのだと思います。
 そして、信仰の中に生き、こころ清くあるときに綴った、人を清らかにする力を持った多くの表現を、未来の子供たちに残してくれたことは、とても美しい菩薩行のように思います。「求道すでに道」であり、伝道もすでに道である。
 
 賢治の作品の中には、多くの生き物や鉱物を含む自然の対象が、感情を持ち、話をかけてきます。これを擬人法といってしまうと、味もそっけもなくなってしまうのですが、このような自然物が主体性を持って表現されている点を、無理に広げてゆくと、今西錦司との気分的な接点が感じられるのです。生物が生物の視点で生きていることを忘れない生物学なのです。
 
 もちろん、今西氏のいう種社会や主体性の進化論とは、そのような甘いものではなく、もっと科学的な吟味に鍛えられた、生物の世界の論理であり、主体性なのです。それに今西氏も、生物個体の主体性を問題にしているところはありません。あくまでも種というレベルに観た社会と進化の主体性です。空間論と時間論の交差点です
 一方宮沢賢治の世界では、生物個体だけではなく、森(「狼森と笊森、盗森」など)という地域の単位や、風や星も語り出します。これをもって共通といってしまったら、誤解される方のほうが増えてしまうでしょう。
 
 しかし、それでも両者とも、心を空しくし、個人のエゴを離れるという方法論を歩み、自然を語りおろしています。無我である自然と一体となるためには、人間は自我を磨きながらも、無我への道を精進しなくてはなりません。ただし単に我がない(ならどうでもいいや)ではいけないのです。時間の流れを享受する主体をもってこそ、無我となる喜びもまた味わえるのではないかと思います。
 目に見えないものを観る。耳で聞こえないものを聴く。賢治と今西は、とらわれのない心境でつかんだ世界の真相を、文学の世界に未来の優しき心に灯すように映し出したか、生物学の世界に自然の代弁者としての責務をうけて削りこんでいったかそうした違いしかないのかも知れません。
 
 「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」(農民芸術概論綱要)とありますが、おそらく太陽から、銀河からまことの光を受けながら、その見えない光を有形化したものが芸術であるとしたならば、手や言葉をもたない生き物たちが、もし同じように、太陽から銀河から光をうけて生きているのであるならば、モルフォチョウの干渉する光沢も、一夜にして傘をひらくきのこたちの姿も、一つの精神としての自然、世界霊が、種というプリズムを通して世界に繰り広げた芸術としての姿であり、その歴史が進化であるかも知れないのです。

 もしたとえ自然が食うか食われるかの厳しい一面しかなかったとしても、今西氏はその自然の中に調和の世界を観続けたであろうし、賢治は「二十六夜」の梟の坊さんに化けて、片足になった多くの<穂吉さん>に生の優しさを伝えることをやめないでしょう。

 
「新しい時代のダーウィンよ
 更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
 銀河系空間の外にも至って
 更にも透明に深く正しい地史と
 増訂された生物学をわれらに示せ」
(生徒諸君に寄せる:一部)

関連箇所;詩人の心 

(今西錦司の世界)
2005.2

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