ダーウィン革命の神話 ノート

ピーター・J・ボウラー
松永俊男:訳

 原書タイトルは、「非ダーウィン的進化論革命」とでも訳される。ダーウィン前後の、進化論のたどった歴史について、ダーウィンの真意と、周辺の偽ダーウィン主義者と、反ダーウィン主義者が織り成す歴史のあやを、再解釈する。
 単純にガリレオと教会の対立といわれる構図でも、有名な裁判にいたるまでの実際の経緯はより複雑であるように、宗教と進化論で代表される対立の構図というのも、そのように単純化できない。

 大きな論点は、種の変異、進化論というのは、気運として19世紀ヨーロッパでは流布される準備は整っていた。しかしそれらの進化への理論は、神の法則や目的論を含む、現在の進化論とは大幅にことなる性格のものであった。そして、「ダーウィン革命」と呼ばれる「偶然の要素の多い変異と、自然選択という進化への方向付け」による進化論が世に出た後、一気にダーウィン的進化が評価を得て、世に種が不変ではないことを啓蒙していった・・・・わけではないことを、この本は紹介する。

 ダーウィン革命が、通常いわれるように、教会の権威と闘い科学の勝利を得て、世に広まったという見方は、幾分後世からみてバイアスがかかった歴史観であり、戦勝国が自らの筆で正義の歴史を書き綴ったように(しかしこれが歴史なのですが)公平感がないということです。歴史の公平性は、戦勝国が没落してゆくときに得られるものでしょうけれど。
 
 ダーウィンの「種の起源」以前も以降も、世に生物の進化という概念を推し進めるに寄与した理論は、非ダーウィン的進化論であり、「適応した個体差−自然選択」によって進化が推進されるというダーウィニズムが正しく定着したのは、もっと後、統計・遺伝学が勃興してくる1940年代に入ってからのことであるとする。「種の起源」のちにダーウィン主義者を名乗る人々によって流布された進化論も、目的論や発展論的進化論に重点を置く、なにか進歩を目指した内容を持つ理論であって、ダーウィン論はその普及のための触媒の一つ、利用された理論ということが本書の要点である。こうした「非ダーウィン的進化論」による革命が、進化論革命の大勢であったのである。

 ダーウィンを取り巻く当時の人々は、それぞれ生物の進化ということに関しては疑ってはいなかった。しかし、ダーウィンのブルドッグとして知られるハクスリーも、ダーウィン急進論的に見られるドイツのヘッケルも、典型的な偽ダーウィン主義者と分類される。また、オーエンやマイバートなどのように有神論的進化論や、観念論的な進化論やラマルキズムによる陣営も、非合目的的で無方向な進化論と対立はするが、非ダーウィン的進化論革命の一翼となっている。
 ここに、この本に登場する天文学者ハーシェルの言葉を引用したい。

 「なんらかの知性が目的をもって常に働き、変化の各段階を方向付け、変化の量を制御し、分岐の程度を規制し、一定の道筋に導き続けなければならない。・・・・・・・ただし、この知性が法則に従って(すなわち、あらかじめ定められた計画に沿って)働くことを否定しているのではない。」
 
これは、非ダーウィン主義的進化論者の内面をよく表現しているように思う。

 これらの目的論的進化論や、競争による進歩を信ずる見解、動物の欲求を含む進化論の後ろ盾になっているものに、ドイツ自然哲学の後押しが見え隠れする。少なくともドイツにおいては、ダーウィン進化論以前から、流動的な自然という考えは唱えられていたし、この著書では、逆にダーウィンが、ドイツ観念論哲学から生じた自然哲学から、生物が変異をうけていることに関して影響を受けたことが紹介されている。
 こうした目的論的な非ダーウィン的進化論は、生物の進化を啓蒙したことに大きな貢献をしており、その変化の法則が、どこか非唯物論的であることが特徴である。

 様々な考えを含むダーウィンの本来の意図をはなれ、進化論を自然選択説のみで説明しようとしたのがヘッケルであるが、彼の説には、ラマルク主義や、ゲーテなどの観念論、ルドルフ・シュタイナーとの交わりにより関連する神秘主義などが同居しており、唯物論を標榜しながら論理としては混乱している。その点に、ダーウィニズムが負っている矛盾点が含まれているように思う。結局本来の錯綜した進化論複合体のなかで、夜のとばりがおりるように唯物論的思考がしずかにおりてきた時、結局ダーウィニズムの無方向の変異と自然選択だけが闇の中でもルシフェリンの輝きを放っていた。

 この本は、ダーウィンの功績を下げようとして意図された本ではない。逆に意図はされていないが、ダーウィンの罪を軽くする役割を持っている。この本で、チェンバース(「創造の自然史の痕跡」の著者)に興味を持った。彼は、ダーウィンのすそを払うつまらない先駆者ではないように感じた。また、社会ダーウィニズムに関しての私の知識はないに等しかったが、この本でいろいろ反省させられた。

 この本は、1988年に出版されたが、今西錦司が綴った「ダーウィンと進化論(1967年)」(世界の名著「ダーウィン」、および「ダーウィン、その進化論と私の進化論のタイトルで「私の進化論」に収録)と読み比べてみると面白い。今西の歴史観が、当時の中でも公平のバランスをもったものであることがわかる。


 2003.8