書籍紹介1

 

 今西錦司さんのいくつかの著作を紹介したいと思います。ここにあげてあるものの多くは、生物を扱ったものです。その人自身と心の中で対話するようになるためには、やはり全集のようにすべての分野の著作を何度も読むことからはじまるという説によれば、ここに、氏の膨大な「山」に関する紹介を省いたことは片手落ちかもしれません。私の興味関心分野にしぼって紹介させていただきます。

 

『生物の世界』  今西錦司全集 第一巻収録 最近 中公クラシックスより復刊

 

 今西氏が自画像として書いたこの著作は、「序」において宣言した通り、「生物の世界」以降の彼の作品を生み出す源泉ともなった大著となります。昭和15年(1941)、今西錦司39歳の著作であり、戦争によってたとえこの身果てても、ここに「生きた」生物学を考え抜いた思索あり、と遺書のつもりでうったえた透明な心境と濃厚な思考の光を、現在も放ちつづけています。

 今西氏の世界観、自然観、生命観を提示したのち、具体的な種のあり方として、種社会を発見し、種の主体的展開としての歴史論から、自然淘汰を中心に据えた正統派進化論に対する批判を行うなど、まさしく今西錦司の出発点となっています。

  各章についての紹介は、別の機会にさせていただきますが、すでに一章の導入の部分において、透徹された思想を述べていて、まるで「種の起源」の最後の文飾を受け継いでいるかのようにこう続きます。

「地球が太陽から分離して、それが太陽に照らされながら太陽の周囲を回っているうちに、それ自身がいつのまにか乗船を満載した、今日見るような一大豪華船となった・・・。船(地球)も船客(生物)も元来一つのものが分化したのである。」

 この「元来一つのもの」から分かれ発展したという、歴史的な関係自体を重要視しているのです。一見混沌に見えるこの世界も、一つのものから分かれたという関係のため、相似と相異という視点により秩序づけることができるのです。この視点は、たんに哲学的な立脚点にとどまらず、今西氏を生命の探究にかりたてた、深い愛の思想でもあります。おそらく、ジェームス・E・ラヴロックに、ガイア理論を発表させた情熱も、同じく「もとなる一つの地球」という愛の思想であったのではないかと思われます。

 多様な生物の世界に、「種社会」、「生物全体社会」を見抜いたことは、生物学の一大発見であり、空間に目には見えない力線を洞察したファラデーの業績に匹敵しはしないだろうかと思います。「生物の世界」は、科学史において日本が世界に誇れる科学理念が創造された、数少ない書物の一つです。

 後の多くの著作は、「生物の世界」講義といえるのかもしれません。

 

『生物社会の論理』 今西錦司著   毎日新聞社/陸水社/思索社/平凡社

 

 1948(昭和24年)の著作。生物社会理論を体系付けを試みた本です。

 後に著者みずから、「不十分な点もありますけれども、一つの完結した作品である。どこにももう手を加える余地がない(自然と進化)」、とか「あんなの読まんでよろしい(自然学の展開)」などと評されています。その言葉の中には、「生物社会の論理」は、当時の生態学史における学術用語の混交や、中心的統一理念の欠いたその場限りな定義を看過できず、種社会、棲みわけを原理とした再構成をおこなうといった目的においては「手を加える余地」のない先進性をもったものであるという自信と、その点で逆に、時代性と様々な生態学者の自然観に手を焼き、十分に今西自然観を表現できなかったあたりの不全感が感じられるように思います。

 後に発展し、強力に思考を重ねた種社会の主体性といった問題よりも、まだ棲みわけ原理と、生態学への歩み寄りに重点を置いた立場での、苦悩の全力投球といった感が全体をおおっています。

 しかし、「序」文にある、「本書の底流には、いわば生物的自然観の論理づけともいうべき問題に対する、わたくしの関心が動いている。物理学者が物質を通じて、自然観・世界観を論ずるとき、生物学者は生物を通じて、もっと積極的に、かれの自然観・世界観を展開すべきではなかろうか。」という言葉には、まるで戦車が荒れ地や沼地をゆくような、生涯をつらぬき展開された生物愛の轍を前に、敬服せずにはおれない重量感と奥深い輝きのようなものさえ感じます。

 

『人間以前の社会』   今西錦司著   岩波新書 170pp

 

 1951(昭和26)年の著作。私がここに手にしているのは旧字体のものです。

 人間以外の生物にも社会性を認め、その社会性から人間の社会を照射するといった研究は19世紀よりおこなわれてきたが、擬人主義のレッテルのもと、正規の学問界より追放の憂き目にあった。しかし、シェルデラップ・エッベによるニワトリの「つつきの順位制」、ホワードによる「テリトリー制」、また、多くの学者によるサルの研究から「リーダー制」などの社会関係が発見されると、生物を未社会的段階のものと社会的段階にあるものという分類がされてきた。

 その観方こそ擬人主義、人間中心主義であると批判し、どんな生物にも社会を認める立場が、本書で紹介されているエスピナスであり、さらに洗練されて今西の論となる。

 サルやアリのように個体が集中しているから、階級が認められるから、そこに社会を認めるのではない。分散しているものは、やはりその分散形態が、その種の社会形態なのである。同種の個体が、その働きあいを通じて成り立っている、一つの生活のオーガニゼーションが社会なのであり、社会のない種など存在しない。

 これは、生物学における統一理論であり、少なくともリンネによる種の記名法の功績以下ではあるまい。

 この統一理論により、カツオノエボシなど群体として扱われている群体生物は個体として、また、一般に(擬人的に)社会性昆虫と称合されているアシナガバチなどの女王バチを中心とした巣の制度を超個体的個体制として整理してゆく(後に再考)。つまり、一匹の女王バチの育てる巣の集団は、一本の木・一匹のイヌといった個体に相当するものであり、社会生物学者が適応包括度をあみ出して、ダーウィンが説明できなかった社会性昆虫の進化を選択説に組み込もうとしたことは、一匹のハタラキバチを個体と憶断したところが問題となる。

 最後、哺乳類の社会から、人間の社会への連結を試みているが、ここは仮説が多く、「私の進化論」収録の「生物の社会と人間社会」「人類の進化」に論を待つ。本書のタイトルはあくまでも「人間以前の社会」であるから。

 

『私の進化論』  今西錦司著   思索社

 

 1970(昭和45)年、68歳の著作。講演録その他小論を含む、三部構成。

 第一部では、生物から人間の移行を、「社会」に注目して類推している。種の社会とは、すべての生物種が持っている。しかし、その社会には、モンシロチョウのように、成虫はひらひらと飛び回り、一見「人間の社会」という概念からは社会性を導きにくい原始的な社会から、群れ生活者などの、順位制、リーダー制といった内部構造を持つ社会までの、秩序の段階を持っている。

 その段階の先に、原始の人類が営んだと思われる「家族」を想定し、その社会が、農業革命による生産の余剰などを通して、封建社会、現代社会までの発達を考えている。人間の社会の発達については、歴史学者や経済学者の定説に沿ったものと思われるが(後にトインビーの著書に推薦の言葉をそえている)、その社会の発達を、生物の種社会から一貫して説明を企てているところに、「人間以前の社会」で見られた内容の斬新さがある。

 しかし、生物社会と人間社会の間に深い河がひろがっていることは、素直に認められているのである。

 ただ、現在の人類は、アウストラロピテクスやホモ・エレクタスなどを、滅ぼして繁殖したなどという、極端な生存競争信者の意見もまだのこっていたころに(子供向けの本に、毛皮を着込んだ人類が、体毛の濃い旧人を石斧で襲いすみかを征服している絵柄を見た記憶がある)、これらの人類は現在のホモ・サピエンスの直系であり、闘争によって勝ち残ったのではないと断言した。

 第二部の「正統派進化論への反逆」は、「生物の世界」から、後の「ダーウィン論」を著すまでに発酵した気体を抜いたものである。

 個体レベルで自然淘汰などおこりりえないと断言する今西にとって、突然ある一個体の生物にランダムな変異がおきて、それが環境(他の生物も含める)まかせに淘汰されて進化するといった機械論、これによって今見る地球の生態系ができあがったと信じる人々は、何かにとりつかれているように見えるのであろう。「目をさませ!」ガスの吹き出す音はそう聞こえる。

 「ダーウィン、その進化論と私の進化論」は、「世界の名著:ダーウィン(中央公論社)」の、序文にあたる論考のため、当時のダーウィンをとりまく状況、人物から、「種の起源」以降の影響など、わかりやすくまとまったダーウィン紹介文となっている。のみならず、自然選択批判、自説の展開と、「世界の名著」の解説で求められているものをかくるこえた内容にしてしまっている。この原著は、本章の後にダーウィンの「人類の起源と性淘汰」を収録してあるにもかかわらず・・・。

 

『動物の社会』  今西錦司著   思索社

 1972年の著作。「人間以前の社会」を収録。

 「生物の社会」以前(1940年)に執筆された、「動物の社会」が収録されている。動物に社会を認める研究者の中にも、サルやアリなどの集団性にのみ目を向けて社会性を考えるグループから、W.C.アリーのように、そこから類推を発展させ、社会性はあらゆる動物ないし生物全般のもつ特徴とみる学者もある。しかし、これらは人間の社会観という色眼鏡を通した自然であり、今西の「棲みわけ」の発見から飛躍し種社会という理論を構築し、その演繹でもって現象を説明するといった手続きをとる段階には至っていない。

 猛禽類やカマキリなどの単独生活者は、種の存続のためにそのような生活様式をとることにした、社会形態なのである。「集団も個体も社会をはなれて存在するものではない。」p38.

 金魚が集団でいるとき、よけいに食物をとることを従来「相互的促進」として説明し、よく飼い馴らされた金魚をまねて、馴らされていない金魚も早く餌に反応するような現象は、「模倣」と呼ばれた。

 これらは種社会から導かれる「共働」を擬人的立場で二方面から見たものに他ならず、「共働」により統一される。同種の個体同士は同一の起源をもち、異種の個体間に比べ、同じ生活を営み、お互いの認め合いを通して、無機的、有機的なすべての環境の中で最も近しいものであり、ある刺激に対して、同様の行動をしめすもの、すなわち共働を呈示する。つまり共働する全集合というものは、ユクスキュルのいう同一の「環世界(環境世界)」を共有する主体であり、それが種社会である。

 この主体的な共働の基礎には、同種の他の個体の認識が要請される。ところが種社会は、単独生活主義社会であっても種の存続のために雌雄の配偶という同種間の認め合いが不可欠であるため、その要請は満たされるのである。

 この「動物の社会」で、既に「生物の社会」で体系を試みられる論点の萌芽は揃っている。

 「社会と個体・社会進化と個体進化」では、種社会理論を首尾一貫させ、進化の単位とは、個体ではなく種であるという学説を展開してゆくための、用語の地均しをおこなっている。自分の思索の足固めをかくの如く披露している。

『今西錦司座談録』 河出書房新社

 1973年の出版。湯川秀樹、貝塚茂樹、司馬遼太郎、藤沢令夫などとの対話や、鼎談が収録されている。今西錦司の人間社会や歴史観に対する先見性や、その安定性をのぞかせる。こういった対談には、後に固定する理論の原型がかくれていたり、予言性の高いことばが散見されていて、興味深い。