コラム:棲みわけの密度化

 今西錦司は種が棲わけていることを発見しました。個体ではなく、種が自己を限定し、その種に属する個体が他種と棲みわけている秩序を見出しました。この具体的な姿が種社会です。今西錦司は棲み分けを、鴨川の流域に相対的に生息域を分離している四種のカゲロウに発見しております。生態学の授業では、よく数種のムシクイ(鳥類)の採餌場が、一本の木の中で種によって棲みわけている例を紹介されます。食草、エサ、採餌方法、生息域、発生時期、配偶行動時刻など、生物はさまざまに環境を棲み分け、同所的に効率良く種の多様性を保っているようのです。種の分類はおもに形態によってなされてきましたが、種が変われば生活様式も異なり、「棲みわけているもの=種」であるといえるでしょう。

 棲みわけの密度化ということばは、進化の結果である現存の生態を説明したことばとも、進化の過程を言い表わしているとも、進化の要因を当てたことばとも受け取ることができます。一定の面積のなかで、いかに生物が多様性を増してきたかを考えると、棲み分けの密度化ということばは事実を言い表わしている。最初の生物が一種であるとすると、そこにはもちろん棲みわけはなくてすむ。さて、一種が分岐し二種になるとき、新しい種はもとの種との競争に勝ち進んだ種でしょうか。今西進化論の答えは No です。今西によれば、生物はわざわざ競争せずとも、もとの種と対立しつつもおぎないあうように、進化するというのです。もとの種が、海中に満ちている栄養分を摂取していたとすると、もとの種より効率良く栄養分を取り込む種が、もとの種と競争して滅ぼしあうことはありません。それよりももとの種の排泄物が増えてきた環境の中で、それを新たなエネルギー源とする生物があらわれたのではないでしょうか。新種が増えすぎ生態系(たった二種だが)がほころびそうになったら、それを食べる種が新種の中から出ることも、あったことでしょう。しかし、この関係は、個体の次元で見たら、弱肉強食の姿なのですが、種や、生物全体社会の立場で見ると、共存であり共栄であるのです。実際、生態系では、栄養段階でいちばん上位の種を取り除くと、その場で生息していた種は減少します。日本で猛禽類をすべて退治したら、おそらく多くの野鳥は姿を消し、カラスやムクドリなど僅かな種がはびこるようになるでしょう。すみわけの密度化は、種の多様性を創りだした原理でもあるようです。

 地球の生命の種は、もと一つであった(仮説)。それが、今見るような姿になったのは、そこに住む生物の種が多様化した結果です。オーストラリアの有袋類も、もとは原種に近い数種の社会であったかもしれないのが、コウモリやネズミやオオカミまで生み出したのは、やはりオーストラリアほ乳類社会が、棲み分けを密度化させ、草食動物だけであったら、数種しか養えなかったところを、肉食動物も進化させ、多くの種をのせた一つの階層社会を築きあげたからであるでしょう。

 人間であれば、農業の発達による過剰生産は、備蓄し、それを付加価値をつけて利用するリーダーや、階級が登場するだけで、その階級も生産者も人間のままでいいのですが、ところが生物の場合は、親譲りの体を変えてゆく以外に方法はなく、余剰エネルギーのフローがあると、それをとらえるように鋭い爪やキバを生やしたり、蜜を吸うストローを開発してエネルギー効率を高めるようなことがあったのではと考えています。

 もちろんこの過程で、絶滅する種もあるであります。しかし、進化はより多くの種の繁栄を、善しとしたように感じられる。この状態で、安定している場合は、地殻変動など起きないかぎり進化は起こらない。何億年も形態を変えていない種の説明も可能です。

2000.1

(今西錦司の世界)

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