自然哲学の庵


 ドイツの哲学者シェリングの自然哲学を綴ったサイト。しかし、日本語で読めるシェリングの著書は多くなく
翻訳は増えている、私の理解力の限界もあって、安定した内容に落ち着きませんでした。
 生物が時間と共に変化したという進化論の、思想的淵源の一つに、ドイツ観念論が挙げられることは間違いありません。同時代のラマルクの進化論・動物哲学も、大きくはこの時代の自然哲学に(直接ではないにしても)依拠しております。この観念論哲学の導く自然哲学から生物進化の可能性が考え出されたのですが、現在進化論といえばダーウィンがその始祖の座に収まっています。これを、唯物論(ダーウィニズム陣営) vs 観念論 の勝者によって書かれた歴史観のせいだといえば、言いすぎではあるが遠からずの観があります。
 もう一度、自然哲学の範疇を吟味することによって、今西錦司の自然観も、ゲーテやラマルクの述べたかった内容も、整理される基盤が確立されると思います。
 私たちの周りに満ち満ちている宇宙は、非常にダイナミックな‘運動’なのです。

 こうした自然哲学の把握は、天来の才能を持った方(シェリングや今西さん)でなければ、普通に生活をしていては得られるものではないと思います。普通は時代時代の常識という枠にとらわれ、捉われていることすら気付かずに生きてしまいます。そこから離れるためには、生老病死の「四苦」と向き合ったり、なんらかの人生の転機が必要なのかも知れません。しかし必要なのは、自己を三次元的世界観から解脱(超絶)させる精神力なのでしょう。そこで、そうした自然観を得るための方法論の一つを、同じくドイツの哲学者フィヒテの思想を頼りにして、「自然哲学の小経」に書いてみました。

 
 

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