『モモ』

 「時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。」
(モモ;大島かおり訳;岩波文庫より)


 『モモ』はミヒャエル・エンデ(1929-1995)の1973年の作品です。児童文学といわれますが、大人がまじめに読んでも有意義な時を過ごせる文学と思います。

 モモは時間の国で、自分だけに向かって流れ込む時間というものを体験します。
 結局他人が1時間をどのような長さの感覚で生きているのかを知ることはできず、時間をその長さで感じとれるのは、「私」とよべる一人しかいないのです。今という時代の中にあなたに流れているメロディをどこまで深く聴き分けられるかその責任は、あなたたった一人にかかっているのです。
 こうした時間のもつもう一面を全く取り扱うことなく、すべて時計やカレンダーではかれる(地球)共通の時間だけで、生物進化を考えてよいのか、という点もモモと一緒に考えてゆきたいのですが、今後の課題とします。

 ここでは、進化論の歴史をまた簡単におさらいしてみたいと思います。生物の進化論といえば、ダーウィンがその思想の創始者といってもよいのですが、ダーウィン以前からも生物がだんだんとその姿を変えてきたという考えはありました。ダーウィン以前は、生物に関しては、神は変化しない種を創られたのだという思想しかなかったような書かれ方もしていますが、そのようなことはなく、生物進化を肯定する思想はかなり知識人の間ではとりあげられていたのです。カント-ラプラス説のような、宇宙は星雲のようなものからはじまり、地球も引力で集められた根本質料から時間をかけてつくられたという世界観が構想可能なようになると、自然も生き物も、最初はない状態からだんだんと今あるような姿に変化してきたという考えは理性的(当時の正しさ)であるとされました。

 「創造は始められて以来、たえずその豊かさの程度を増しながら、永遠の全過程をつらぬいて働く。・・・それは、つねに働いて、新しい事物や新しい諸世界を産出しつつあるのである。」とは『天体の一般自然史および理論』で述べられているカント(1724-1804)の思想ですが、こうした世界観が発酵していた時に生物だけ変わらないという考えに対しては当然疑問が生じます。カント哲学の直系下流に位置するシェリング(1775-1854)の自然哲学でも、生物(有機体)は弁証法によって、徐々にその体制を展開させてきたということが述べられています。
 
 ドイツ観念論を中心にこの時期のヨーロッパには、精神と同じ光によって生成しつつある動的自然、能動的で、目には見えない光によって動き出す自然という、法則性と躍動感にあふれた自然観がふきわたり、生物進化の哲学的地盤も次第に形成され、理論形成が大きく前進したといえるでしょう。作家として有名なゲーテ(1749-1832)も同じ思潮の中におります。フランスでは、唯物論も勃興して来ましたが、デカルトとニュートンが不思議な形で融合した神のいる機械論、あるいは神即自然(スピノザ)の自然運動による、目的論的進化論が幾通りかの形であらわれてきます。ラマルク(1744-1829)の進化論も、教科書的に書かれた一部しかあまり知られていませんが、生物の進化に関しては神のいる機械論を構想しており、ロマン主義的な内容を持っているのです。

 ダーウィン以前に生物進化の思想を持っていた人物を列挙すると、スイスの科学者シャルル・ボネ(1720-1793)、フランスの博物学者ジョフロア・サン-ティレール(サンチレール:1772-1844)、イギリスでは、ロバート・チェンバース(神の計画に従う目的論的進化論を著述)、のちに自然選択説と争うことになる古生物学者、リチャード・オーウェン(1804-1892)などがおりますが、彼らは神が全ての種を聖書風に創造したというのではなく、神が創られたのは進化の法則だ、という思想をとなえます。

 彼らは戦勝国側から書かれた歴史では敗者にあたる人々です。オーウェンは、進化そのものを否定して惨敗したように書かれていますが、「種は内在する傾向のせいで、時間とともに変化する」ことを確信しており、環境のみに進化のふるいを認める自然選択説に対して反論をしていたのです。
  そしてかれらと争い、ダーウィンのブルドッグとして知られるT.H.ハクスリーでさえ、生物の進化自体をダーウィン側にたってPRしたものの、自然選択説には同調しておらず、彼にとって自然選択説は実証以前の仮説程度の扱いでした。この時期の識者は、天文学者ハーシェルに代表されるような、なんらかの知性が、目的にそった生物進化を導いている、しかしその知性は、法則として科学的にも解明されるものである、といった進化そのものを受け入れる知性を持ち合わせていたのです。ダーウィンも含め、生物進化を唱えた人々へは、すくなからずドイツ観念論哲学が影響をあたえているように思われます。
 
 さらにダーウィンが神に頼らず生物が時間の中で変化してゆける仕組みを打ち出した同期、あるいはそれ以降も、自然選択によらない目的論的な進化論が主流をしめ進化論をリードしていました。ベーツソン、モーガン、ド・フリース等の後世の著名な生物学者も、反ダーウィン的な進化論者でした。ダーウィニズムは、進化を否定する説を打ち砕くために旗印として利用された一説にすぎず、生物進化を世に広めた大勢は、自然選択説ではない進化理論であったことは、『ダーウィン革命の神話』ピーター・J・ボウラー著に詳しく書かれております。

 ではなぜこのような目的論と進化論とを統合させつつあった様々な進化論の立場から、ダーウィニズムのみが残ったのでしょうか。
 一つは、メンデル革命の影響です。また一つは、これに関する進化論陣営の哲学的混乱です。ワイスマンによって、獲得遺伝の途がたたれ自然選択一元論によるダーウィニズムが打ち出されると、ダーウィンの思想の中にもラマルキズムがあったように、目的論的進化論と自然選択説との共存が断たれてしまいます。また、ヘッケルがシュタイナー神秘主義、生気論者でありながら、唯物論者であったように、哲学的整備がないまま脆弱な状態で進化論が流れていた状況にありました。 
 さらにもう一つ、進化論の世界にも、モモの世界に訪れた灰色の男たちが葉巻のけむりをたゆたたせていたのではないかという気がします。彼らはあちこちにいながら誰も気がつかないで行動をすることができます。

 「彼らはすがたが見えないというわけではありません。ちゃんと見えるのです―ところがだれも彼らに気がつかないのです。彼らは気味のわるいことに人目をひかない方法をこころえているため、人びとは彼らを見すごしてしまうか、見てもすぐにそれをわすれてしまうかです。」

 この一節を読んだ時に、人びとを不幸に導く思想というものはきわめて巧妙にふりつみてゆくものだと感じました。
 彼ら灰色の人は、地球の公転、自転という相対的なものの運動を基準にして作られた時間を、人びとにこれ以外はない絶対の「時間」だとモモ達の仲間に「啓蒙」してゆくのです。
 時間の流れの感じ方は各人の心象によって千差万別でありこちらが真の時間なのであり、同時刻に関するアインシュタインの理論もそうなっていると思います。しかし、科学を実効ならしめるためには、人類共通の時間単位を用いなければなりません。この地球上でみんなに共通の時のはかりといえば、一日という単位、すなわち地球が回転するその運動をつかえば良かったのです。天体の運動を基準として、カレンダーや時計、時、分、秒の単位が決められました。
 そして文明国の人は腕時計をして、作り出された共通の時間に生きています。この相対的時間、客観的時間は、各人の主観的な時間のほんの一部なのですが、科学の発展という良い面と灰色の人たちに麻痺させられた悪い効果によって、この客観的な時間こそが世界に流れる時間で、主観的な時間感覚はあてにならない、錯覚のようなものと考える人のほうが多くなってしまいました。しだいしだいに灰色の男たちの目論見があたり、ひとびとは「時間」を大切にするために時間を捨ててゆくようになります。『モモ』は科学的価値観に染まった現代社会への風刺でもありますが、作者エンデのシュタイナー哲学に裏打ちされた確固とした主張がこめられています。
 進化論も、人知れず、マルクス主義が風靡した時代に唯物論と機械論の煙が降りおりて、いろいろ花開いていた進化論を灰色の毒素で枯らしてしまい、唯一ダーウィニズムが残っていたような図式を感じます。また進化論者のほうも時代におもねったところもあるでしょう。

 ダーウィンに近い時代の進化論にも面白いものが数多くあるようです。現在単なる自然選択のみではなく、より複雑な要素が生物を進化へと導くのではないかという論調も花開きつつあります。またそれを支える数学的理論や類比的事象も増えてきています。モモのように勇気ある人たちも増えてきているように思います。生物は自然選択のみによらずとも進化します。生命は進化する、これは定義であって、結果でないということです。
 あまり深い話は出来ませんでしたが、今回も進化論を考える参考になれば幸いです。

2004.1
(今西錦司の世界)

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