おわりに

 薄ワインの空 グレープの雲うかぶ 冬 夕暮れ
 

 畑での労働の手を止め空を眺めた。景色は一日の疲れを癒してくれる。「ああ、美しい」口からこぼれる言葉を白い息にのせてその場を風景にあずけた。この情景をつくった雲、水蒸気は偶然にそこにあるのであろうか、そして自分も。
 
 
 桜を想い目を瞑る

 暗く暖かい闇の中に大樹が浮かび、音もなく絢爛さを誇る枝から二度と来ない時代をのせた風がふきわたり桜色の花びらを散らしている。
 後ろにあるように思えるのは、高校の正門かあるいは遠く天平の軒並みか。私にとって時を刻みつつあるこの情景は、手には入らない時そのものをあらわす美だ。美が先で桜があとではないのか。
 

 現代生物学は純粋理性批判の鳥かごの中。いや、マルクスの思想によって、またそれに祟られた文部省(当時)の考えによって人間ごと鳥かごの中に入れられ唯物的世界観で養育されている。
 それでも、小さな生き物を手に乗せてなでている細い目は、生命とは何かをほんとうは知っているのだ。その身体をつくっているのが高分子であっても、その温もりがATPに由来するとしても、その身体を超えた生き物の優しさやかわいさや、寂しさをきっと感じている。

 身体の科学とともに、本当の生物学の使命を追い求めよう。生命。それはDNAという物質でも、脳の神経情報でもない。生命がそれらを知っているのであって、それらが生命であるわけではない。

 美も適応もその外にあるというのに、影だけをみて納得している方々。
 宇宙より優しくふききたる馥郁とした香りに包まれて、その遅い目覚めのひとときを味わってください。

 拙い文ですが最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
 次の機会がありましたら、シャノンの情報理論、プリコジンなども含めてまとめます。